まとめサイトと言うのでしょうか、それを目にしてがくっと来ました。
 「水鏡が俺たち読者にこう言っている!」とブチギレフンガーみたいに(すっかり内輪でネタ化してます)、言ってもいないことを言ったと勝手に憤慨してキレられたりとか(だから、言ってねーよ)、あるいは本人が明確に伝えている事実を歪めるような形での拡散はやめて頂きたく思います。
 ほんと、他人の名前持ち出して嘘や誤りを流し続けるのはやめてもらいたいんですけど、なんとかなりませんかねえ……。


・誤解が生じる余地がないようにはっきり申し上げますが、デビュー作は売れたんです。
 2作目の路線変更は「売れなかったから」が理由ではありません。
 あくまで作者が理解できない『初代担当の感性』です。
 売れない場合の路線変更という考えはあって当然と思ってますが、しかしながら、これ以後でも電撃編集部とそんな理由でゴタゴタしたことはありません。
 ジャンルが原因で騒動が起こったわけではありません。


 ある受け取り方をされるのがとにかく避けたかったので、以前はその意図に基づいた事情説明をしましたが、それがために(なのか???)こうも言ってもいない形で広まったり、本文を細切れにされてあり得ない突っ込みをされるのを見ると、さすがによろしくないと思いましたので、もう少しだけにしろ、明確に改めてのご説明をしておきます。


 初代担当が社会人としてとにかく問題があった点にはさらりと触れるのみとして、創作に関してのごたごたは本来はややこしくないのです。
 繰り返しますが、デビュー作は売れました。

 しかも、この「売れた」には二つの意味がありました。
 ①客観的数字として売れた。
 ②編集側の評価としても売れた。

 この事実と編集側が自ら認める「ラノベはシリーズで巻を重ねて売っていくのがセオリー」と、それに担当編集者が『自分からした約束』からすれば、デビュー作の路線をあえて避ける理由など本来ありませんでした。
 それなのに、わざわざしなくてもいいイレギュラーなことをやり続けたのと、その後の処理がおかしいことの連続だったから問題になったのです。


 初代担当の間で言えば、
①編集者が自分からした約束を破り、繰り返しの作家の反対を押しのけて自分の方針を強いたこと。
②その「私の経験則」に基づいた担当の方針は、勝算が薄いことは容易に予想できたこと。
 ラブコメが良い悪いではなくて、順調なデビュー作のあらゆる可能性(同じ系統や同じ路線の作品の選択肢)さえも捨てて、あの一冊目の後にあの二作目で勝負する必要性があるのかを問題視したのです。
 これって、わざわざ実際にやらないとわからないことでしょうか?
 初代担当に限って言えば、こういった問題が発生することをあの人が全く考えが及ばなかったとしても、今なら理解もできますし信じられます。当時はとても理解も信じることもできませんでしたけど(若かったんですかね……)。
③「私の経験則」なるものに基づいた初代担当が指示してきた創作工程がとにかく無茶苦茶だったこと。
 「こんな方法で、シリーズを立ち上げて成功できる作家ってどれだけいるんですか?」と部長の小山さんに聞いても答えを頂けませんでしたから、それぐらいあり得ないのでしょう。これは今でもそう思います。勘弁してください。

 こういった独り善がりに、諸々の手落ちや社会人として如何なものかと言うほどの初代担当の逆切れが加わりました。


 ところで、初期の段階で、「事情はよく知らないがお前が悪い」という心無い批判を浴びながらも、別の角度からも問題が生じたこともあり、編集側より解決策として担当交代を提示されました。
 実は、私はこれについて、ひたすら、それはもう最後の瞬間まで反対しました。

 ①問題の本質は別にあって担当交代で解決することではないこと。
 ②担当交代をした場合の具体的選択肢及びその場合のより悪い展開が予見できたこと。
 ③「上手くいかないのは、私のやり方が間違っているのではなくて、水鏡が前向きではないから」という絶句するばかりの認識ではあっても(……。)、それでも、この段階で「私の経験則」に基づいた工程や方針がそもそも滅茶苦茶であることを、初代担当もやっと理解してくれたらしく、ジャンルを含めてこちらに主導権を任せてくれるとの合意にまでどうにか漕ぎ着けていたこと(ほんと頑張りましたよ)。


 ところが、私の必死の訴えにも拘わらず、部長判断で初代担当は降ろされました。
 その後の展開は、何もかもがこちらの懸念した通りとなりました。
 デビュー作の二巻の芽が完全に摘まれたのは、実はこの担当交代の結果です。
 それどころかデビュー作の路線さえも冷ややかに否定されました。おかげでデビューの出だしを台無しにされ無駄に時間と労力を代価にしてどうにか得た合意も、これで打ち壊しになりました。
「私にメリットなんてちっともないじゃん! 何のための解決策で変更なのかっ!(だから散々、反対したのにぃぃぃ!!)」
 正直に白状すれば、この時はさすがに発狂しました。

 ……小山さんはよく話のすり替えをされるのですが、後日にこの処置についての私への説明は「組織の異動は作家の意思とは関係なく行われる」でしたから、これもその一例です。


 その後も創作の混乱は続きましたが、理由は色々とあります。
 ・ジャンルに関して言えば、「デビュー作路線とそうではない路線、どちらがいいのか」といった大雑把な問題についてさえ、作家の適性の面からも、ビジネス面からも、そして、読者に対してさえも、何度も問い合わせましたが、誰からも総合的で論理的な見解や助言を一度ももらったことがありません。
「数字の結果も出てるし、そんな程度の見解すらも出せないなら、それはもう間違ってるんじゃないの?」
 となるはずですが、編集側の見解はあくまで「間違ってない」でした。セオリーから外れたことを編集側の主導でやったのに、教訓も反省も提示されないのです。
 ちなみに、二作目の具体的成果についての最終的な小山部長見解は「新しい読者がついたかもしれない」たったそれだけでした……。なら、私がリスクを負わされてやらなくてもいいじゃん。
 
 ・売り上げとは別の理由で、編集側が主体性を発揮してシリーズを閉じることのおかしさも、一度も否定されませんでした。
 「デビュー作のあの終わり方で続きがありかなしか」について、人それぞれだと思います。
 ただ作者としては、シリーズ化前提がラノベの売り方で、続刊を望んだファンレターも頂いたのでなおのこと、ビジネスとして「綺麗な終わり方なのでシリーズを閉じよう」という考えがさっぱり理解できません。
 私からすると「あの程度で終わらせられる」との認識です。しかも、「今後は、しない」との答えも編集側から頑なに拒否されました。
 それでいて、「シリーズが終わったら作家の責任」との明言はあったので、こちらも、それによる考慮と懸念をするしかなく、なんちゅう制約じゃと思いながら、それで創作のたびに「拘束性はありません。構成から何もかもそれに基づいて曖昧にしています」と伝えるしかありませんでした。
 
 ・おかげで背表紙とともに、絵師さんにも同じ厄介な問題が生じました。
 絵師さんにだって都合があると小山さんは言いますが、これは当然です。
 ところが、その事情を踏まえてなお、その面でご自身も苦労されているのに小山さんの見解では「デビュー作をシリーズ化にしないでの路線変更は、間違ってない」となるのです。
 これについての戦略的整合性を考えてくれませんでした。

 これで「戦略がない」と言われても、こちらとしては「こちらは散々言っているのに、今更何を仰いますのん!」状態なわけです。


 「好きなように書いてくれていい。責任は持つ」と言ってくれるんだったら、それはそれはこっちも楽です。と言っても、そんな要求したことはないですけど。

 ただ、
 約束違反や伝えるべきことを伝えてないことに抗議したら、「電撃では作家と編集はチームだ」と第一に諭してきたり(こちらがなお耐えろということか?)、
 事前に何度も説明は求めているのだからそれは大事にしてもらいたいとの訴えに、「編集は作家の言う通り動くロボットになれと言っているように聞こえる」と半ギレ気味に言われたり(こういう解釈になる耳と論理について私に聞かないでください)、
 とまで編集者の立場を主張されるのであれば、問うてもいるのですから責任ある態度は示してほしかったわけです。
 そういう意味で私は電撃の編集者を一貫して尊重していて、手順と合意を軽んじたことはありませんでした。それでいざ踏み込んだ話になると、途端に言葉を濁されるわけで、しかも、そうした状況であるが故のこちらの手探りを=お前のわがままを聞いてやっていると認識をされるので、それはおかしいのではないかとなるわけです。


 しかも、私はこの問題について「担当交代は解決の正しい手段ではない」と以後も頻りに訴えていました。
 それを無視して、「円滑な創作ができなかった」から交代したのであれば、それによって解決されなければなりません。
 ところが、実際は上述の通り、何もかもこちらが事前に懸念と予想した通りの展開となって、結局、事態の悪化を招いて話が徒にややこしくなっただけだったので、
「風邪の処置を誤って肺炎になったとこちらは訴えているのに、それで整形外科医連れてきて腰痛の治療しても意味ないですよね」(ほぼ原文)
 とさすがに言わずにはいられませんでした。

 「新しい体制」にするなら中途半端に事情を知っている人間ではなく、そもそも事情を知らない人間が担当になった方がずっとよい再構築ができるのです。

 この有効な選択肢は何故か考慮されず、話がこじれた段階でも改めてそれを訴えましたが、小山さんには最後まで一顧だにされませんでした。


 こうした背景があった上で行われた話の席で、事前の約束を無視されたわけなのですが、それとは別に驚いたのが部長としての謝罪です。
 謝罪の席ではご自身の判断や差配に誤りがあったと述べられていたはずなのに、通達の席を含めた「部長として謝っている」と繰り返された場では、「部下の手際が悪かった(自分の差配そのものが誤っていたわけではない)」に変わってしまっていたのです。


 殊、人的問題に関して言えば、

「小山さんは三度の局面で、三度申し上げていた私の意思を、三度いずれでも聞き入れずに部長としてのご自身の判断を優先されて、それで三度とも失敗した挙句に、三度全てにおいて私に最大のリスクを負わされました」
 
 「風邪薬を買ってきてくれ」とこちらが財布を渡しているのに、
 それで葱や蜂蜜を買ってこられた挙句に
 「お前のために、こっちは手間をかけていい葱や貴重な蜂蜜を探し回ったのに、なんでまだ文句を言うんだ!?」
 とキレられても、こちらは「だって土台、間違ってるじゃん」を言うのは避けられないんですが。


 そして、巷の騒動は「四度目」になります。まあ、最大のリスクを私(だけ)が負わされたかは不明ですが。


 こちらの意見を無視して部長判断を優先し、それで失敗した度に小山さんが言われたのが
「今までそういう失敗はなかった(から、今度もそうだと思ってこちらの意見を無視して部長判断を優先した)」
 でした。
 それはそれで判断材料になるとは思うのですけどね。
 でも、(個人的認識の範囲において)今までそういうリスクが発生しなかったからといって、諸要因を無視していいことにならないし、挙句に失敗となればその責任とリスクは誰が負うことになるのかの問題が発生するんですが。


 こちらが訴えた懸念に対して、小山さんはどういった反応をしたかといえば、
「『お前の目から見たら』電撃文庫編集部はだめな連中なんだろうが」
 ととても悪意ある嫌味を繰り返された挙句に
「電撃の編集者が無用なリスクをもたらすとか、リスクに向き合えないとか、能力的にも人間的にもそういう疑念を向けるような人間とは信頼関係は成立しない」
 と通達の理由にしてきただけでした。
 
 本当に私の目から見ただけのこと(水鏡の悪意ある偏見)なら、本来なら現状みたいな騒動は起こらないかとっくに収束しているはずでしょうに(私はこういった事態を未然の防止できるほうがより有益だと思ってあえて訴えたのですけど)。

 小山さんは今も変わらず快適な職場で仕事に励まれているのでしょうが、では、私の前でさんざん振り翳した『電撃編集部の部長としての”自負心”』とやらは、どこへ行ってしまったのか。
 そもそも、職業人としての自負心なんてものは、それほど都合よく着脱できるものなんでしょうか???


 ジャンルがどうとか、謝罪の「事実のみ」が問題だったわけではありません。
 これなんて象徴ですが、たかだか「職業人としての自負心」でさえも、これほど意味合いが違う(変わってくる)のです。
 私の前で振り翳され、いざその真価を問われた段階で、途端に意味合いや重みが激変するってのはこれが最新の事例であっても、無論、最初の事例ではありません。
 そして、多分、最後の事例ですらないような気がします。


 最初に事情を明らかにした背景と今回の騒動は、結局、本質は一緒なんでしょうが、そのあたりは別の機会が、もし、あったなら。