「良い酒と鑿を生涯与える」 | ノイズのなぐさめ

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越後の名匠 石川雲蝶―足跡と作品を訪ねて [単行本]

木原 尚 (著)

内容(「BOOK」データベースより)

躍動感あふれる牛若丸と烏天狗、生き生きとした機織りの女性、愛嬌ある十二支など、幕末から明治にかけて越後の各地で彫刻や襖絵など多くの作品を制作した雲蝶。非公開の作品を含め、今に伝わる見事な作品を豊富な写真と解説で紹介。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

木原 尚
新潟県見附市生まれ。(社)日本写真家協会会員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
 
石川 雲蝶(いしかわ うんちょう、1814年文化11年)- 1883年明治16年))は幕末期の彫物師
1814年(文化11年)江戸の雑司ヶ谷で生まれた。本名は安兵衛。若くして江戸彫石川流の彫物師として名を挙げ、苗字帯刀を許された。 二十代で幕府御用勤めに。 32歳の時越後国永林寺(現魚沼市)の22世円応弁成和尚の招きで越後国に入る。「良い酒と鑿を生涯与える」という言葉で承諾。 やがて当時から鑿(のみ)などの金物の町として知られた三条へ婿養子に入り、酒井姓となった。一男一女を儲ける。
越後国では、永林寺の欄間などの彫刻群や「越後の日光」と言われる西福寺開山堂(現魚沼市)、秋葉神社奥の院(現長岡市)など、多くの彫刻を各地に残した。後に三条に戻り、1883年(明治16年)70歳で死去した。墓は三条市本成寺にある。 作品は越後に千点近く残る。
石川雲蝶は大層な酒好きで、興が乗らなければ鑿を握らなかったと言われるが、その彫刻の多くは色鮮やかで彫りが深く、何層にも彫り重ねられた精巧さと大胆な構図が特徴である。