「クラウス・シュルツ」という表記が一般的であった。 | ノイズのなぐさめ

ノイズのなぐさめ

歪んだ美意識。
ちっぽけ 些々たる しがない
たわい無い 些末 末梢的
スマート、スィート、デンジャラス
大切なのは長く働くこと。

初期にはタンジェリン・ドリーム1969年1970年)とアシュ・ラ・テンペル1970年1971年)にドラマーとして参加していたが、「イルリヒト(Irrlicht)」でソロ・デビュー。これと二作目の「サイボーグ(Cyborg)」は、オルガン、および電気的な変調を駆使しつつオーケストラのストリングスを単音で延々と鳴らし続けさせるという変則的な曲調で、一曲あたりの時間が非常に長い大作志向であることを除いて後の作品とは一線を画している。三作目「ブラックダンス(Blackdance)」、あるいは「ピクチャー・ミュージック(Picture Music)」以降はシンセサイザーをメインに据えた現在に通じるスタイルに転向、 以後は、30年以上に渡ってソロ活動を続け、多くの作品を発表し、初期のシンセサイザー音楽電子音楽パイオニアの一人と見なされている。また、ソロ作品では本名以外に、リヒャルト・ヴァーンフリートRichard Wahnfried)という変名も用いていたこともある。
ソロ・アルバムにおいては、ディレイ(エフェクター)を伴うシンセサイザーシーケンス・パターンを基本に、ストリングスや宇宙的なイメージの効果音がしばしば多用され、即興的なシンセサイザーのソロ・パートが重なっていくというタイプのミニマル・ミュージック的な楽曲が特徴であり、一つの独自なスタイルを確立している。ただしすべてシンセサイザーのみで構成された作品は意外に少なく、他の奏者による生楽器やドラムなどの人力による演奏との共演が多いことも特徴であろう。 この点ではタンジェリン・ドリームと共通点があるが、一般には、シュルツェの作品のほうがより重厚で壮大、神秘的といったイメージで評価されることが多いようである。
2005年には病気で倒れ、一時は生死の境をさまようほどの事態となったが、完治。2007年、音楽活動に復帰した。
他アーティストとのコラボレーション活動としては、ピート・ナムルックと共に制作した「The Dark Side Of The Moog」シリーズやツトム・ヤマシタの「GO」等が挙げられる。
また、日本の作曲家である喜多郎1975年ヨーロッパでシュルツと出会い、その元でシンセサイザーについて学んだ。
ちなみに日本では過去、「クラウス・シュルツ」という表記が一般的であった。