宮城谷昌光(みやぎたに まさみつ、1945年2月4日 - )は日本の時代小説・歴史小説作家。古代中国の偉人にスポットを当てた作品を得意とする。代表作に『重耳』、『孟嘗君』など。本名は宮城谷誠一(みやぎたに せいいち)。愛知県蒲郡市生まれ。
愛知県立時習館高等学校から早稲田大学第一文学部英文科卒。
大学卒業後、出版会社勤務や家業の土産物屋を手伝い等を経て、郷里にて英語の塾を開いていたが、作家として名が売れるまでは苦しい生活が長く続いた。当時の塾生には、英会話学校NOVAの事業を受け継いだ株式会社ジー・コミュニケーションの代表取締役会長兼社長稲吉正樹がいる。
その後、立原正秋と出会い、教えを受ける。立原に「必然性のない漢字を使ってはならない」と言われた事から、日本語と漢字に向き合う日々を送ることになる。長い間、自分の言葉を探し苦しんでいた宮城谷は、白川静の著書に出合った事で光明を見出すことになった。後にその白川と対談したとき、「あなたは勉強家だ」と白川を驚嘆させ、「文章も清新でよろしい」と評価されている。
最初は恋愛小説などを書いていたが次第に歴史小説に移行するようになった。史記を始めとする漢籍を修めただけでなく白川静に深い影響を受け金文や甲骨文字まで独学で学んだ。史記全文を筆写したことがあるという。殷、周、春秋戦国時代など古代中国に素材を求めた作品が多い。近年は日本の戦国時代を題材にした作品も手がけている。
『王家の風日』が500部刊行にも関わらず司馬遼太郎の目に止まり、葉書を貰っている。また『天空の舟』は司馬の激賞を受けた後、知人の経営する中小出版社から出版され、この作品が出世作となり、世に出ることとなった。その後、自分の作品が刊行されるたびに司馬に送付しており、そのたびに葉書を貰ったという。
1996年1月3日に編集者和田宏の仲介により司馬と初対面。喫茶室で懇談後、宮城谷夫人同伴で夕食会を催す。司馬が他界する1ヶ月前であった。司馬の死後、和田は「あの新年の陽光がいっぱいのホテルの喫茶室で、司馬さんから宮城谷さんに何かとても大きいものが引き継がれたのだ」と述懐している[1]。