四谷の南側の低地に、かつてスラム(貧民窟)があった。明治のはじめから、昭和の初期あたりまでのことである。富国強兵を目指して発展する帝都の中心部に、貧民が寄り集まって最底辺の暮らしを送っていた。今ではまったく面影がなく、その過去は忌まわしいものとして語り継がれていない。地名の鮫河橋は、忘れられようとしている。
迎賓館のわきを権田原に向けて下る坂道(鮫河橋坂)。右の木立の向こうが南元町公園。坂を下りきったあたり左手に、赤坂御用地へ入る鮫河橋門がある。写真はクリックすると拡大します。
四谷駅から赤坂に向かう外堀通り。迎賓館の前は広大なオープンスペースになっていて、広々とした景観が広がる。正面に迎賓館、左手は空になった外堀を隔てて、ホテルニューオータニや赤坂プリンスホテル、さらに遠くには赤坂から溜池にかけての新しいビル群が望まれる。迎賓館の右手を行くと、学習院初等科の敷地にそって急に降る坂がある。左手は迎賓館、その先が東宮御所。坂の途中から右手には南元町公園と呼ばれる公園が見える。なだらかに傾斜した植え込みや石組みの先には、整地された広々とした野球場や、遊園地がある。休みともなると近くの親子がキャッチボールに興じていたりするが、週日は人影もまばらである。公園の北側には、御所トンネルを出たばかりの中央線の電車が通り、その手前の首都高の高架には、轟音を建てて車が行き交う。この南元町公園が、かつて貧民がたむろして住まった地域の東端にあたる。スラムは、この公園の北西の角にある中央線ガードをくぐって北に向かう、細い道の両側に広がっていたらしい。旧地名鮫河橋谷町である。その名の通り、四谷の台地と赤坂の台地の間の谷であった。
http://homepage2.nifty.com/aquarian/Tokyo/Samegabashi/Tky030122.htm