幼少の頃から両親の流す音楽に親しんではいたが、当初は真剣にプロの歌手を目指すつもりはなかったもよう。したがって、他のクラシック歌手にありがちな「幼少の頃からの音楽の英才教育」は一切経験していない。
16歳の頃旋盤工となり、仕事のオフタイムの折にパブでロックやポップスを歌うのみであったが、観客に「ルチャーノ・パヴァロッティの“トゥーランドット”にある『誰も寝てはならぬ』を歌ってみてはどうか」と勧められ、CDを入手してヴォイス・トレーニングに取り組むことになった。これがラッセルのテノール歌手としての原点である。
このトレーニングによる口コミが評判を呼び、彼の立つステージは年を追うごとに広く大きなものとなっていった。 1999年、ロンドンのウェンブリー・スタジアムにて行われたマンチェスター・ユナイテッドとトッテナム・ホットスパーのラグビー決勝戦にて、ウィニング・マッチの前に歌うというオファーを受ける。これは全英に中継され、彼の知名度を決定的に広めるものとなった。
2000年9月、ファーストアルバム"The Voice"をリリースした。ここではサイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」、フレディ・マーキュリー(フレディの命日はラッセルの誕生日)の「バルセロナ」をカヴァーしている。
2001年には、アメリカのSFテレビドラマ「スタートレック:エンタープライズ」のオープニング曲、"Where my heart will take me"(映画「パッチ・アダムス」のエンディングで流れるロッド・スチュワートの"Faith of the heart"と同じ曲)を歌った。 2004年4月には初来日公演が実現した。同年ボーナスDVD付きのアルバム"The golden voice"をリリース。
2005年にアモーレ・ムジカをリリース。テレビ朝日の題名のない音楽会、テレビ東京のたけしの誰でもピカソに出演。5月に再来日公演を行なった。2006年、ベスト・アルバム「ベスト・オブ・ラッセル・ワトソン」をリリース、5月に東京と兵庫で通算4度目の来日公演を行った。
2006年9月、ニューアルバムを録音中に脳腫瘍が発見され、すぐに手術が行われた。その後アルバム「ザッツ・ライフ」は2007年3月にリリース。2007年8月~9月にカムバックを記念した日本公演が東京と大阪で行われる。 JALが毎年行っている音楽イベント『音舞台』の2007年版『第20回 JAL金閣寺音舞台』への出演も予定されている。