カントは、ある対象に対するわれわれの態度を、これまでの伝統的区別にしたがって、三つに分けている。ひとつは、真か偽かという認識的な関心、第二に、善か悪かという道徳的な関心、もうひとつは、快か不快かという趣味判断。しかし、カントの区別がそれまでの考えと違っていることのひとつは、彼がこれらに優劣の順位を与えず、ただそれらの成立する領域をはっきりさせたことである。それは何を意味するか。たとえば、ある対象物に対して、われわれは同時に少なくとも三つの領域で反応する。われわれはある物を認識していると同時に、それを道徳的な善悪の判断において、さらに、快・不快の対象としても受け取っている。つまり、それらの領域はつねに入り混じった、しばしば相反するかたちであらわれる。このために、ある物が虚偽であり、あるいは悪であっても、快であることがあり、その逆も成立する。
カントが趣味判断のための条件としてみたのは、ある物を「無関心」において見ることである。無関心とは、さしあたって、認識的・道徳的関心を括弧に入れることである。というのも、それらを廃棄することはできないからだ。しかし、このような括弧入れは、趣味判断に限定されるものではない。科学的認識においても同様であって、他の関心は括弧に入れられねばならない。たとえば、外科医が診察・手術において、患者を美的・道徳的に見ることは望ましくないであろう。また、道徳的レヴェル(信仰)においては、真偽や快・不快は括弧に入れられなければならない。こうした括弧入れは近代的なものである。