「那智チャコ」の愛称で | ノイズのなぐさめ

ノイズのなぐさめ

歪んだ美意識。
ちっぽけ 些々たる しがない
たわい無い 些末 末梢的
スマート、スィート、デンジャラス
大切なのは長く働くこと。

* 國學院大學中退後、劇団七曜会に所属し舞台の世界へ。その後、劇団城、東京俳優生活協同組合を経て、1963年劇団薔薇座を設立した。 役者、舞台プロデュース、舞台演出の傍ら、声優業でも活躍。
* 主宰していた劇団薔薇座では、プロデュースと演出を担当。ストレートプレイ、ミュージカルの上演に力を注いだ。1988年、劇団薔薇座の第21回公演ミュージカル『スイート・チャリティ』で文化庁芸術祭賞を受賞している。
* 元々は舞台演出家志望であった。テレビ普及が本格化した高度経済成長時代のテレビドラマ黎明期に、人手不足からテレビの仕事に手伝いで呼ばれ参加したところ、その仕事は演出などのスタッフではなく演じる方=俳優の端役(性犯罪者役)であった。困惑した野沢が、次に引き込まれていったもう1つの人手不足の現場がアフレコの世界であった。しかし、当時野沢は劇団薔薇座を設立したのと引き換えに700万もの借金を抱えてしまい、途方に暮れていたところ、七曜会に居た頃知り合った八奈見乗児と偶然出会い、プロダクションを紹介され「ナポレオン・ソロ」の仕事に就いた。実は既にデビット・マッカラム役は愛川欽也に決まっていたので、気楽にオーディションを受けたが何故か配役が野沢に変更されたようだ。野沢が知人から聞いたところによれば、ディレクターが偶然野沢の出演している番組をみて「誰だ?この女みたいな芝居する奴は」と注目し、配役を決定したという。当時は低音、硬派な語り口の演技が主流で現在定番とされる二枚目演技の原点は野沢が生み出したとも言える。
* このような奇遇な経緯を経て劇団の借金を返済するため声優業を開始して、次第に人気を獲得していった野沢だが、最終的には声優の世界から遠ざかり、自分の劇団を復活させ演出家としても活動する。
* TBSラジオの深夜ラジオ番組『パックインミュージック』でパーソナリティとして白石冬美とコンビを組み、文化放送など局を移しても2人で「那智チャコ」の愛称でラジオ番組のパーソナリティ・コンビとして好評を博した。
* 現在はパフォーミング・アート・センターの代表を務め、声優・ミュージカルタレント・俳優を目指す人材を育成している。この学校は略称、PAC(パック)と呼ばれ『パックインミュージック』を知るファンの郷愁を誘っている。
* フリーランクに位置する、日本でも3人しかいないという超高額ギャラの声優でもある。