実験工房」に参加した写真家として知られる大辻清司(1923年生
まれ)の写真家としての歩みには、「実験」という姿勢が貫かれて
います。1950年代に若い芸術家たちが集まり、造形・音楽・舞台芸
術など領域横断的な活動を行なった「実験工房」の名付け親は、彼
らの精神的な指導者でもあった詩人・批評家の瀧口修造ですが、そ
もそも大辻が本格的に写真というメディアに向かうきっかけは、戦
前、その瀧口が中心となって、欧米の先端的な写真表現を日本に紹
介し、前衛写真運動の拠点となった『フォトタイムス』誌との出会
いでした。以来「実験」あるいは「前衛」という言葉は、大辻の写
真活動の根幹を成すキーワードとしてあり続けます。「私の考える
写真家の理想像は、決して既成の道を歩まないことを第一の資格と
している」(『アサヒカメラ』1969年5月号)と彼が記していると
おり、ここでいう「実験」あるいは「前衛」とは、特定の様式を伴っ
て現れた運動のことではなく、写真というメディアの特性について
深く思考し、既成の写真表現の成果を踏まえ、さらなる展開を探ろ
うとする姿勢そのものを表わしていると言えるでしょう。その姿勢
が示唆するように、彼の写真は、初期のシュルレアリスム的な感覚
を見せる作品から、「モノごのみ」と評された、モノの表面や形を
確かな構成力と写真技術で画面に置き換えていった写真群、そして
現実の世界を写真に移しかえる時の、かすかではあるが確固とした
差異の現れを楽しむかのようなスナップショット群へと、自在に展
開していきます。 そうした展開の中、大辻は、意識的に表現者と
しての立場を後退させることを試みます。記録や雑誌のための仕事
として、美術や建築、舞台芸術などあらゆる表現領域に立ち会い、
あるいは伝統文化から現代生活の周辺まで、依頼に応じて様々な事
物にレンズを向けていく、一見受動的にもみえるその作業は、人為
の及ばない領域を内包する写真というメディアを、与えられた状況
でいかに適確に用いるかという、自らを被験者とする実験でもあっ
たのです。写真はいかにして成立するのか。すぐれた書き手でもあ
り、多くの写真家を育てた教育者でもある大辻の、写真について思
考することをめぐる作業も含む、その仕事の全体をたどっていく時、
私たちはまた、一人の写真家の歩みを通じて、写真というものをあ
たりまえのように抱え込んで進んできたこの時代のあり方について
考える、さまざまな手がかりを与えられます。この展覧会――大辻
清司写真実験室――は、そうした思考の場でありたいと考えていま
す。
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大辻清司(おおつじ きよじ)
1923 東京に生まれる