答は全て内側にあります。
人に話して発散して、
わかってもらえることには、
どんな価値がありますか?
自分が自分を認めて
わかってあげていないから、
人に代わりにそうしてもらうことで、
自分を癒した気になりたい
それだけです。
もし、話すなら、
しっかりとしたフィードバックをくれる人。
在り方の確立した人に、
です。
そうでなければ、
傷の舐め合い、依存関係になり、
終わります。
普通に生きている方の周りには、
残念ながら、
このような方はまずいません。
類は友を呼ぶ。
自分の周りには
自分と似たような人間しか集まらない
仕組みになっているからです。
だからこそ、
自らを磨き、
そのような在り方の美しい方々
を引き寄せるか、
そのような環境に身を投じる他にはありません。
ほとんどの方は、
自分を守ることに必死なので、
今の環境に満足をし、
自分を正当化して生きています。
本当にそれで、良いのですか?
もっと自分の人生を
自分で楽しく生きるスキルがあるなら、
たった一度の人生、
それを身に付けたいとは思わないですか?
自分を誤魔化し、
「悩みや問題が自分を成長させてくれる」
「私は私なりのやり方で自分と向き合う」
「辛いこともあるけど、
楽しいこともあるからこのままでいいや」
と言って、
なぜ、自分の探求を
そこで止めてしまうのですか?
もっと知れる世界があるのに、
もっと楽しく生きる方法があるのに、
なぜ、それを
知ろうとしないのですか?
「これまでの自分」
を引き摺って今のまま生きることで、
「これまでより上の自分」
になるなんて、
ありえないとわかりませんか?
間違った方法で
美味しい料理を創ろうとして、
「私なりに頑張っているんです!」
と言っていたら、
いつになっても美味しい料理は出来ません。
頑張っているんだから認めてくれ、
状態で、
非常に痛々しいですね。
たまたま、
運よく美味しい味に仕上がっても、
それは当初の理想の料理
とは違いますよね。
だって調理方法
間違っているから、自己流だから。
それを正当化して
「美味しいから良いじゃん!」
と、
逃げているのが
今の人生ではないですか?
だったら、もう一度、
その美味しい料理を
再現してみてください。
無理ですよね。
そこで、
「自己流」というものが
存在しなかったことに気付きます。
理論が無いから、
マグレなんですよね。
たまたまの産物。
そんな、
たまたまの産物
を狙い続けて
必死に、
不要なエネルギーを使いまくって
人生を磨耗していくのか
今、正しい理論を自らに落とし込み、
本当に美味しい料理を作れるスキルを身につけ、
「真の自己流」
を確立していくのか。
どっちにしたいですか?
という話です。
これは、
人生も同じで、
それこそが、
私が何より大切にしている
「心理学」なのです。
自分の人生の達人に、
成りたいとは思いませんか?