子供を育てていて、

もしくは子供に育てられていて、

この頃ふと思うことがある。


『無償の愛』って、どこにあるんだろうと。

どこに行けば、得られるのだろうと。


私は寂しがりだけど、

昔は愛されたいとかもよく思ったけど、

今は無償の愛を『受けたい』のではない。

そういうことで悩んでいるのではなくて。


無償の愛を与えられるようになるには、

どうしたらいいのだろうってこと。

それでこの頃悩んでいる。


そもそも私は母性が本能であるだなんてのは

嘘っぱちだと思っている。


そんなのは夢物語だ。

単なる理想で、リアルではない。

産む前から漠然と予想はしていたが、

実際に産んでみて、予想は確信に変わった。


私は今までギブアンドテイクで生きてきた。

いや、むしろテイクアンドギブのほうが近いかも知れない。

信じてくれた人、与えてくれた人に恩義を返す。


そしてその立場はなるべく常にフィフティ・フィフティであるように、

敢えて返し過ぎず、いつでも対等を心掛けていた。


人としての生き方だけで言ったら、

そういう生き方もあっていいと思う。

だが親として、母としては、それでいいのかと。


私は、2歳の子供にまで、

それを求めてしまうのだ。性分として。


母としての仕事や責任が増えることは、

産む選択をした時点で覚悟したことなので、

仕方ないだろう。それに異論はない。


私も自分の子供は可愛い。

カノジョのためにしてあげたいこともたくさんあるし、

だから母親として嫌いな家事もちゃんとやる。


でも例えばそれで本来の自分(家事をやるような人ではない)

をある意味偽り、無理をして『母親』をしているというのに、

再三言っても子供が言うことを聞かないと、

本当にがっかりしてしまうのだ。


そしてつい、いつもキレて怒鳴ってしまう。

ありえないほどの暴言をぶつけてしまう。


要するに。

言うことを聞いてくれないなら私だって聞くもんか!

などと思ってしまう未熟者だってことなのだ。

それでいつも激しくケンカしてしまう。


あと、

出来ることは自分でやれ。

という主義もすごく弊害を起こしている。


無論、頭では『子供』という生き物の生態について

わかっているつもりだ。


やめろと言われればやりたくなるのが子供。

毎日同じ順序で物事を進められないのが子供。

やらねばならないことより目の前のことが気になるのが子供。

そのくせ一度ハマるとしつこいほど繰り返すのが子供。


子供の成長としてはそれこそが正常なのだということと、

怒ってやらせるより褒めてやらせるほうがいいことも。

もちろん、頭ではちゃんとわかっているつもりだ。


ただ、私はずっと子供が嫌いで苦手だった。

だからカノジョを子供として見てしまったら、

私は今以上に接し方がわからなくなりそうなのだ。

それを回避するために、人として接している気がする。


結局ね、私自身が甘え下手でね。

うちの母ちゃんも今の私みたいな(いや更に過剰)性質で、

状況的に難しかったのもあって、

幼少期に充分に甘えさせてもらった記憶がない。


だから甘え方もわからないし、甘えさせ方もわからないの。

これはもう・・・完全に負の連鎖だよね。


そんな私が敢えて母親になったのって、

その連鎖を断ち切るためなんだとしか思えない。

その学習のための一端なのだろうってさ。


私はまだ自分が一番なのか。

自分第一の母親じゃやはり失格か。


別に自分の生き方を

他人様なんかに許されなくても屁じゃねえ。

他人が俺の人生をどうにかしてくれるわけぢゃねーしな。

(時々結構気にして凹んでたりもするけども)


けど、カノジョからの評価は別なのだ。

私はカノジョを私の幼少時よりも精神的に満たしてあげたい。

それは同時に私のトラウマ解消にもきっと繋がっている。


だからこそ私は悩み続ける。

神田うのの中に自分と似たものを感じた。

そんな今日この頃。


愛はどこにある?私の愛は。




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画像の帽子はハニーのと同じ配色で編んだ私の帽子。

只今、家族でセット化計画中なのです。

デザイン違いの同配色で統一感を出すつもり。

昔からバッグとか帽子とか、小物系が大好きでねえ。