昨日は、くらま食堂でランチを終えたとこまでを書きました。そう軍艦カレー🍛の感想を何も書いていなかったのですが。。
具材はすべて溶け込んで、カレーの中に固形物はありませんでした。香辛料はあまり強くなく、小学生の娘でもパクパク食べることができました。甘味があってとても美味しいカレーでした。
食堂を出た後は、こちらの見学です。
鎮守府とは、かつて日本海軍の根拠地として、艦隊の後方を統括した機関のことです。九州を統括する鎮守府が、ここ佐世保にあったようです。
ここは2年前まで、中が整備されておらず、一般公開はされていませんでした。それを、排水設備その他整備を施して、公開に至ったようです。
地下防空指揮所の見取り図です。
これは、ドアを開けたところの壁です。30 cm ほどの厚さがあります。
こちらが柱です。娘と比べていただけると、その柱の太さがお分かりいただけるかと思います。
こちらは、空調設備があったようです。でも残っているのは箱だけで、第二次世界大戦連合国を占領したアメリカ軍が、設備は取り外したようです。
天井です。太い針金がむき出しになっています。
廊下と、別の部屋の入り口です。
こちら大変広い通路です。避難してきた人をこちらで収容するために、広く取られていたようです。
800人ほどは入れるということでした。
そしてこの通路には、かつてのお部屋の様子がパネルで展示してありました。
こちらが緊急指令室の前の、スクリーンのところです。
こちらは電話機がいくつもテーブルの上に置かれていますね。電話交換室でしょうか。
上のパネルに見えているダクト。このようにダクトだけが残されておりました。
この地下防空指揮所は、地下1階と地下2階の、2階建てです。ここは地下2階に降りる階段です。
しかし、まだ地下2階部分は、排水設備など整備が整っておらず、未公開となっております。まだ公開の予定も立っているのかいないのか、公にはわかりませんが、できれば整備をしていただき、公開していただきたいものです。
間仕切りがなくなった地下1階部分です。
この柱、上の部分にデザインが施されております。さりげないお洒落です。
このように、ただの(笑)柱もありました。
お部屋全体が、天井から壁に至るまで黒く煤けていますよね。
アメリカ軍がここから撤去する時に、全てを焼き尽くして出て行ったようで、そのためにこのように煤けているのです。
こちらはトイレです。第二次世界大戦の最中、なんとここには水洗トイレがあったのです。
トイレはいくつかの個室がありましたが、この表示のように准士官以上の方用、下士官用、そして女子用ときちんと表示されており、対象となっている者以外は、そちらは使えないようになっていたようです。
こちらは男性用の小便器。娘に横に買立ってもらったので分かるかと思うのですが、大変低い位置に設置されております。
まだこのころの日本人の体格が、そう大きくなかったことを物語っておりました。
中を見終わって外に出ると、こんな風にのどかな芝生が広がっておりました。しかし、まさにこの芝生の真下が地下壕なのです。
こちらは。。
かつての鎮守府の玄関です。現物をそのまま移動して設置してありました。
鎮守府庁は、空襲で焼けてしまいました。
このようなものが建てられていたようです。
この表門が、実は残っていたのです。
ほら、今の総幹部の門になっております。
自衛隊総監部を後にし、市民文化ホールを見学しました。
こちらは国に登録されております有形文化財です。第1次世界大戦前の凱旋記念館として建設されました。
三日間にわたりお付き合いいただき、ありがとうございました。
明日からは、日曜日の山口県弾丸ツアーの様子を書きたいと思います。