いつのまにか、私の読むべき本のボックスの中に、知らない本が入っていました。
 自分で買った覚えはなく、誰から借りたのか、もらったのか、勧められたのか、何も分かりませんでした。もしかしたら、誰かに勧められて私が買ったのかもしれません(笑)。常にいろんな人が本を進めてくださいますし、何かに書かれたレビューを見て、わ、この本読んでみたいなと思って買ったりします。
 なので、本屋さんで、何か面白そうな本はないかなと、うろうろと物色して、手に取ってみたりして、よし、買おうということが、私にはありません。とにかく手当たり次第に読んで、こなす。次々にやってくる本と、追いかけっこしてるみたいです。たまには自分が鬼役になって、よし、読みたい本を見つけてやるぞ、みたいな時もありますが、大概は、ほらまだ読んでないよ、僕のこと、みたいに本たちに追われていることがほとんどですえー

 で、この「正しい本の読み方」。パラパラとめくってみましたが、あまり面白そうに感じません。参ったなぁ。。でも誰かが勧めてくれたんだろうし、よし頑張って読むかと思ってページを開きました。

 するとこれが、最初の数ページであっという間に私をぐいっと引き込んでしまったのです。「正しい本の読み方」という表題や、帯に書かれているキャッチフレーズの期待値からすると、そこを大きく外れていました。もちろん良い方にですね。

 本を読むということはどういうことか、教養と本とはどういう関係にあるのか、本を読むことによって、頭の中はどのように変わるのか、どのように読めばいいのか、何を学べばいいのか、何の役に立つか。あくまでも、本を読むことによって何が得られるのか、ということについて書かれていて、軸が全くブレていない、すっきりとまとまった本なのです。でも、その中身は大変に魅力的で、心理学的な要素や、社会学的な要素など、多岐にわたって盛り込まれています。著者その方が、いろんな分野に本当に明るい人なんだと思いました。

 もちろんこの本は、具体的にどうしたらいいかと言う、how to 本の役割も十分に果たします。でもそれだけではなくて、根源的に本というものをどう捉えたらいいかということを、この著者なりの考えでもって述べられている所が、大変に魅力的なのです。

 そして、私がこの本を読んで、本を読む時に一番大切だと思ったことは。

 それは本を読むときは、素直な心で読むということ。
 書いてある内容は、そのまま素直に、これはアリだとして受け入れる。とりあえず自分の感情には、封印をする。本を読むということは作者の「思想」に付き合うことであり、それを最初っから、ふん、こんなことあるわけないじゃないかというような、斜に構えた態度で読むようならば、その本を読む必要はないということです。とりあえずアリだとして素直に最後まで読み、その後で自分の考え方とは違うな、なり、自分と同じ意見だな、なりそこで自分の解釈に至ればいいのだな、ということでした。
 最後は著者と決別するにしても、本を読んでいる最中は著者に寄り添う、この姿勢が本を読むときにおいて大切なのですね。

 本は、著者の思想の氷山の一角。本の中に書かれていないたくさんの思いが下敷きとなり、この一冊の本が出来上がっている。その下敷きになった事柄や思いまでもを読み取れるようになると、また違う景色が見れるのでしょうね。

 心理学的、社会学的な様子を交えながら進められていったこの本最後は哲学的なフィナーレを迎えました。著者の言葉を借りて要約します。

 本は人間が、形を変えたもの
 著者の友達をだんだん増やしていくことこそが読者の「密かな愉しみ」である


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 昨日は1年のうちでワースト3に入るほどの憂鬱な日。仕事の日でした。
 普段は娘のママとしての社会的役割を担っていることが多い私ですが、この日だけは夫の妻の役割を担わなくてはなりません。
 ドレスコードはもちろん第一礼装。和装です。


髪は自分で。。


着付けは母に。

 この仕事、ずいぶんと慣れはしましたが、吐きそうなほどに緊張しますし、何せ夫からの要求が半端ない。
 「余計なことは喋るな、でもにこやかに笑みを絶やすな、何かに誘われてもうまく断れ」ですよ。そんなんできるかっえー
 酔っ払って絡んでくる殿方もいらっしゃるし。しかも、そこで嫌な顔をすることは絶対に許されません。相手は夫の同業者ですからね。

 くたくたで、家に帰りましたタラー

 ま、年に一度のことなのでなんとかなります。