あれは、娘が三つの頃だっただろうか。
娘の手を引いて、片側三車線の国道の信号待ちをしていた時だった。一人の年配の女性が私たちの側に近づいて来た。そして、唐突にこう言った。
『子どもは、しっかり掴まえとかんといかん
ちょっと、ほんのちょっとの隙に失ってしまうよ
しっかり、手を繋いどかんといかん』
あまりの真剣な響きにびっくりした。怖いとか、怒っているとか、そんな感じではなく、ただ、真剣な感じだった。過去に、何か辛い経験をされたのだろうか。そんなふうに思わせるかのような響きがあった。
まもなく、またいつもの夏休みがやって来る。私は、バレエに行くときも、ジムに行くときも、娘が一緒に行きたがるのをいいことに、殆ど娘を連れていく。
何故か。
私は、未だに家に独り娘を置いておきたくないのだ。もちろん、もう独りで2、3時間の留守番ができることくらいわかっている。だけど、うちはマンション暮らしだ。私のいない間にもし火事や大きな地震が起きたとき、娘はどうなるだろう。独りで落ち着いて、対処できるとはとても思えない。怖くて動けなくなるかも知れないし、行ってはいけないところに逃げてしまうかもしれない。いっぱしの口を利くが、まだ9才である。
連れて行けば、そんな心配は皆無だ。心配性だと思われるかもしれないが、万が一の可能性でも、もし娘を失ったらと思うと耐えられないのである。
毎朝学校に送り出すときでさえ、これが元気な娘を見れる最期かも、と思うときがある。考えただけで涙が溢れそうになる。慌てて笑顔を作り、名札はしたか、宿題忘れてないか、など一通りの確認をする。そして、
行ってらっしゃい。気をつけてね。
と、キスとハイタッチで送り出す。
送り出すときは、何かで娘を叱っていても喧嘩していても、絶対にそのままにはしない。もしそれが最期になってしまったら、そんなに悲しいことはない。どちらが遺されてもそれは辛すぎる。
行ってらっしゃい、は、どうか無事に帰ってきてね、という私の願いであり、無事に帰宅できるように娘に渡す、声の御守りなのである。
あのとき声をかけてくれた女性の、真剣な響きは、神さまからのメッセージだったのかもしれない。
今日も元気に、行ってらっしゃい