真っ暗な夜に、街が真っ赤に燃えて、プロパンガスがバーン!バーン!と爆発音をたてていて、火の気がこっちにきたら、ここも逃げるようだねと何度もカーテンを開け外の様子を見ていました。
翌朝、外にでるとこの光景。
豊かな生活から一瞬にして、戦時中の生活の転落。
井戸水を汲み、マキでご飯を炊き、用水路でヘドロの衣類を手洗いし、
主人と息子は、ヘドロまみれの缶詰や缶コーヒーを拾い集め、ストーブで温め、皆で食べたり、飲んだりしました。
また男手が必要だと 遺体を高台に上げたりもしていました。
一瞬にして多くのものを失いましたが、
不思議な事に、避難所の皆は常に笑っていました。
会う友達との会話も 『うち、家なくなったの!』 『うちも~(笑)』
『車、流しちゃった!』 『うち一台!』 『うちは二台よ~(笑)』 てな具合でした。
あまりの大惨事で、泣き言をいう人やメソメソしてる人はいませんでした。 不思議に思うかもしれませんが、みんながゲラゲラと笑って過ごしていました。
電気がないので、夜の星は、本当にキレイでした。
食糧等の支援物資は、そこにいる人たちで均等に分け合いました。
不平不満を言う人もいませんでした。
『助け合うこと』 『分かち合うこと』 は日本人のDNAに組み込まれているんだと確信し、避難所で本来ならとても大変な状況なのですが、
『日本人で本当によかったなあ~。』 と幸せな気持ちで過ごしました。
何も持たずに避難して、多くの方に支えられて、今日まできました。
築4年の自宅は全壊、店舗は流出。
一見、不幸に見えますが、
『命があれば、また歩きだせる』 『人との繋がりが何よりの財産』
気づくものもたくさんありました。
この写真を提供してくれた気仙沼市内の写真屋さんも
被災し、その中でも息子の高校の卒業アルバムの再発行や
クラス写真を洗浄し、皆さんの手に渡るようにしてくださいました。
今でも、あの時のうれしさをはっきり覚えています。
私たちは、マイナスからゼロに向かって歩いているかもしれませんが
前進している事には、変わりありません。
生き残った以上、前に進むしかないのです。

この、ショッキングな写真を、あえて、久々の”ブログ”にupさせていただいたのは、
”決して忘れてはいけない光景”と思ったからです!
当時の、画像、映像、は、youtubeとかで、見られた方もいらっしゃるでしょうけど
もう1年半も経ったのだから、これよりはましだろう、、と思われる人の為に、この夏、
2012年8月に、実際に、気仙沼で撮影した写真が、下記です、

最初の写真の、反対側からの写真ですね!
一見、綺麗になった? 信号ついてる 、、ぐらいは、ふと思われるでしょうけど、
この後ろには、何もないのです!
鉄筋が折れ曲がったままの
家の”基礎 ”だけしかない土地 が延々と です。
海はすぐそこです。
たまたま通りがかった ボランティアバスが 写りこんでいますが、
観光バス、の3倍も4倍もある、漁船が、街中に横たわっている街、
それが、”気仙沼市”との出会いでした。
こんな光景、見たことないです!でも現実なんですね。
たしかに、ここまでは”復旧”ですが、
”復興 ”はまだまだ です。
でもでも、でもですよ!
なんとこの地には、めちゃくちゃ ”元気で””暖かい” ”人情のある”方々がおられるので
すよ~!
この方々と、”不思議すぎる出会い” が重なり ”素敵すぎる”とまでいえるほどに
深い深いつながりになって行くこと、、
自分でも、予想つかないぐらいの流れでした♪
9月にも 4日間
10月も 今週末から行きます!
11月も 多分 初旬には
さらに、12月も お邪魔します(笑)
5ヶ月連続で、「気仙沼入り」します!
弾丸ならぬ、”マシンガン”ですよ~ (笑)
その”物語”はこれから、折々、この 「久々にup」の MARCYブログ で ”残して行きたい”
と思っています。