♪ご縁に感謝~雅人風~まさとふう~♪ -18ページ目

♪ご縁に感謝~雅人風~まさとふう~♪

音楽を中心に心の輪を広げていく自遊人 「雅人」~まさと~Marcyのブログです。

高台の親戚宅から、この光景を見ていました。
真っ暗な夜に、街が真っ赤に燃えて、プロパンガスがバーン!バーン!と爆発音をたてていて、火の気がこっちにきたら、ここも逃げるようだねと何度もカーテンを開け外の様子を見ていました。
翌朝、外にでるとこの光景。
豊かな生活から一瞬にして、戦時中の生活の転落。
井戸水を汲み、マキでご飯を炊き、用水路でヘドロの衣類を手洗いし、
主人と息子は、ヘドロまみれの缶詰や缶コーヒーを拾い集め、ストーブで温め、皆で食べたり、飲んだりしました。
また男手が必要だと 遺体を高台に上げたりもしていました。

一瞬にして多くのものを失いましたが、
不思議な事に、避難所の皆は常に笑っていました。

会う友達との会話も 『うち、家なくなったの!』 『うちも~(笑)』
『車、流しちゃった!』 『うち一台!』 『うちは二台よ~(笑)』 てな具合でした。
あまりの大惨事で、泣き言をいう人やメソメソしてる人はいませんでした。 不思議に思うかもしれませんが、みんながゲラゲラと笑って過ごしていました。

電気がないので、夜の星は、本当にキレイでした。
食糧等の支援物資は、そこにいる人たちで均等に分け合いました。
不平不満を言う人もいませんでした。
『助け合うこと』 『分かち合うこと』 は日本人のDNAに組み込まれているんだと確信し、避難所で本来ならとても大変な状況なのですが、
『日本人で本当によかったなあ~。』 と幸せな気持ちで過ごしました。

何も持たずに避難して、多くの方に支えられて、今日まできました。
築4年の自宅は全壊、店舗は流出。
一見、不幸に見えますが、
『命があれば、また歩きだせる』 『人との繋がりが何よりの財産』
気づくものもたくさんありました。

この写真を提供してくれた気仙沼市内の写真屋さんも
被災し、その中でも息子の高校の卒業アルバムの再発行や
クラス写真を洗浄し、皆さんの手に渡るようにしてくださいました。
今でも、あの時のうれしさをはっきり覚えています。

私たちは、マイナスからゼロに向かって歩いているかもしれませんが
前進している事には、変わりありません。
生き残った以上、前に進むしかないのです。

$Marcy World



この、ショッキングな写真を、あえて、久々の”ブログ”にupさせていただいたのは、
”決して忘れてはいけない光景”と思ったからです!

当時の、画像、映像、は、youtubeとかで、見られた方もいらっしゃるでしょうけど
もう1年半も経ったのだから、これよりはましだろう、、と思われる人の為に、この夏、
2012年8月に、実際に、気仙沼で撮影した写真が、下記です、


$Marcy World

最初の写真の、反対側からの写真ですね!


一見、綺麗になった? 信号ついてる 、、ぐらいは、ふと思われるでしょうけど、

この後ろには、何もないのです! 

鉄筋が折れ曲がったままの

家の”基礎 ”だけしかない土地 が延々と です。

海はすぐそこです。


たまたま通りがかった ボランティアバスが 写りこんでいますが、

観光バス、の3倍も4倍もある、漁船が、街中に横たわっている街、

それが、”気仙沼市”との出会いでした。

こんな光景、見たことないです!でも現実なんですね。

たしかに、ここまでは”復旧”ですが、

”復興 ”はまだまだ です。


でもでも、でもですよ!

なんとこの地には、めちゃくちゃ ”元気で””暖かい” ”人情のある”方々がおられるので
すよ~!

この方々と、”不思議すぎる出会い” が重なり ”素敵すぎる”とまでいえるほどに


深い深いつながりになって行くこと、、

自分でも、予想つかないぐらいの流れでした♪

9月にも 4日間

10月も 今週末から行きます!

11月も 多分 初旬には

さらに、12月も お邪魔します(笑)


5ヶ月連続で、「気仙沼入り」します!

弾丸ならぬ、”マシンガン”ですよ~ (笑)


その”物語”はこれから、折々、この 「久々にup」の MARCYブログ で ”残して行きたい”

と思っています。