マーカス市は昔豪商を輩出した町と言えます、以前三井財閥の元になる江戸の越後屋発祥の地として、記事にしましたが、今回も越後屋と肩を並べる丹波屋の本家を訪ねてきました。
有名な広重作の「東都大伝馬街繁栄の図」

左手前のお店〇三のマークが丹波屋の店で、創業者、長谷川治郎兵衛の3代目が江戸に出て、丹波屋次郎兵衛を名乗り、1675年木綿の仲買商を立ち上げました。
その本家長谷川邸は、江戸時代からの建造物や、重要資料が沢山現存し、国指定の重要文化財に指定され、帳簿類は今なお調査中です。
↓この通りは魚町通りと呼ばれ、この奥には魚市場、魚屋、鰹節や、蒲鉾屋、乾物屋
うなぎや等が立ち並んで今もその名残の商店が多い所です。
その中で一番間口も奥行きも広大な敷地の長谷川邸は、未知の商家でした。
間口70m奥行120m、奥行きは殆ど外部から見えず、中に入って広さにビックリです。
私の幼稚園から小学校までの通学路で、当時はまだ商いをされていました。
現在は東京に本社(マルサン長谷川株式会社)を持ち、本家は市に寄贈していただきました、
調査中に小判などが新たに発見された様ですが、全て寄贈していただきました。

大きい蔵が5棟、古い帳簿など数年がかりで調査中

駕籠

一番大きい蔵には、千両箱が

千両箱が並べられ、奥の棚にも沢山

大判、小判、金貨、銀貨の見本

大正3年に建てられた、大正座敷

大正座敷の作りは、全ての柱が節無し柱が使用され、一番奥に隠し門扉があり、
重要来客時のみ開かれ、表通りからは見えない構造になっています。
各所の作りも工夫が凝らされ、今の建築家も参考になる様です。
皇室関係の方が泊まられた事もあります。

大正座敷と松阪木綿

裏庭には600坪の庭園があり、池や木々、ドウダンツツジなどが植えられ、
大きい石も運び込み、亀の形をしたスッポン石なるものも置かれていました。

長谷川邸の筋向いに、本居宣長の旧宅があり、現在はお城公園の方で保存されてます。
私の子供の頃は、井戸や門扉など残っていました。
