子供の頃から本居宣長さんは「こじきを書いた偉いひとなんや」と教えられてきました、家の隣に墓があり、通学路に宣長の旧宅(写真1)があり毎日見て通ったところです、子供の頃は、こじきと言われても、「はぁーん乞食の物語書いた人や」くらいにしか感じてなかったです。
中学、高校時代に2~3度移築された旧宅を訪れたことがありますが、昭和45年に新しくできた記念館を見学してきました、40数年ぶりです。
本居宣長は将軍吉宗の時代の人で、木綿商をしていましたが、医者になる志で京都で学びました、(写真2)は五臓六腑の描かれた医学書です、京都では儒学や古典や和歌や神道も学び、国に帰って開業医となりました。
34才の時、たまたま参宮の途中の賀茂真淵が当地に宿泊し、宣長は対面を願い出て、やがて弟子となりその指導のもとで「古事記」の研究に入りました。
古事記は712年にできた、現存する最古の歴史書であり、この本を正確に読むことが日本人の本当の姿や思想を知る上で必要と考え、研究に着手して35年の歳月をかけ「古事記伝44巻」を執筆しました。(写真3)
その全44巻は版木に彫刻され印刷できるようになっています、木の材質は桜と書いてありました、瓦版と違い凸版だから凄いと思います、沢山の版木も昔は無造作に積まれていましたが、今は2枚しか展示してなかったのです(写真4)。
賀茂真淵との、たった一度の出会いが、宣長の生涯を決定したと言えるでしょう、晩年の宣長自画像(写真6)。
宣長の家の事を「鈴の屋」といいます、勉強部屋は、階段(写真5)を上がった2階にあり、この階段は後から作った物ですが、左横に本物が置いてあります、この階段は下3段が取り外しでき、勉強中は他人や子供達が上がれないようにするためです、昔は上がれたのですが今は禁止になっていました、昔の様子を思い浮かべると、6畳か8畳位の広さで、押入れや引き戸の唐紙は破れ、その破れ紙にもぎっしり文字がかいてありました、勉強机の横に鈴がぶら下げてあり、眠気がおきると鈴を鳴らして眠気覚ましをし勉強しました、だから沢山の鈴が展示してあります(写真7)。
印刷技術の無い昔の言い伝えや文章をまとめ上げ、35年掛けて古事記伝を版木にまとめたことは、教育の最前線と言えるでしょう、467種1949点が国の重要文化財となっています。