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Verbum Caro Factum Est

僕Francisco Maximilianoが主日の福音を中心に日々感じたことや思うことを書き綴るBlogです。同時に備忘録でもあります。

イエスの誕生の時、王の誕生を知らせる星を見て東方から博士たちがベトレヘムを訪れ、幼な子に黄金、乳香、没薬を贈り物として捧げたとマタイ福音に記されている。福音書には「マゴイ」すなわち「博士ら」と複数で書かれているだけで人数は書かれていないが、贈り物の数から「三人の博士」として語られている。

民間伝承の物語によればこの「三人の博士ら」に加え実は、もう一人の博士がこれまた星を見て、自分の医師としての職業も妻子も捨て、全財産を売り払い高価な真珠を求め、それを捧げ物とすべく、ベトレヘムへと旅立っていた。その名を「アルタバル」と言った。

医者であるアルタバルは、ベトレヘムへの途上病人を見かけては手当てをしているうちに、ベトレヘムに着いた時には、イエスら聖家族はヘロデの手を逃れ、すでにそこを去っていた。

その日からアルタバルのイエスを探し求める人生が始まる。毎日の生活の中で彼を必要とする病人を手当し、生活の糧が得られないがゆえに悪事を働いている人々には惜しみなく扶けの手を差しのべ、田畑を共にたがやし彼らと共に生活を共にして、あっという間に三十数年が経ってしまった。

ある日、ナザレのイエスという一人の預言者がカルワリオで十字架につけられるという知らせを聞いたアルタバルは、生涯肌身離さず持っていた真珠を手にカルワリオの丘を目指し急ぎ出かける。だが、その途中、経済的な問題から身を売らなければならなかった一人の女性に出会ってしまい、彼女をたすける身請け金としてその真珠を与えてしまう。その間にイエスは十字架上で息を引きとり、全地は暗くなり地震が起き、アルタバルは倒れてきた建物の下敷きになってしまった。

瓦礫に挟まれ嘆き悲しみ苦しむアルタバルにの目の前には十字架で死んだイエスが立っていた。

アルタバルはイエスに言った。「主よ、遅すぎました。わたしは何度も何度もあなたに逢おうとしましたが結局お逢いすることができませんでした。わたしにはもう何もあなたにお捧げするものは持っておりません。」

そこでイエスはアルタバルに向かって優しく言った。
「あなたはわたしに逢えなかったというが、わたしは何度も何度もあなたに逢っていたのだよ。わたしが病んでいる時に手当をしてくれ、餓えている時に食べられるようにしてくれた。そしてお前の真珠は今しっかりと受け取っている。」

人が生きていく時、あらゆる場面で選択することが求められる。何をするのか、どう在るのか。その選択の基準をイエスの福音に見いだしていくと決心した人をキリスト者というのだが、そういう意味においてキリスト者は一生涯を通してイエスを探し求める者だといえるだろう。

わらしたちキリスト信者は教会で祈りや聖書の学び、信者同士の交わりの内にイエスについて学び出会っていく。そしてキリスト信者の群れの中で霊的に満たされ社会の中へと派遣され、その社会においてもわたしたちはイエスと出会っていく。その意味においてもキリスト者とは社会のただ中でイエスの福音に生きるようにと招かれた存在、生き方、と言えるだろう。

キリスト者は洗礼によってキリストの死と復活に結ばれたものとなるわけだが、それは自分の軸足をどちらに置くかということに似ている。今までの自分の考え方や生き方、いわゆるこの世が求めることに答えてきた今までの生き方なのか、イエスの福音が告げる価値、聖パウロのいうまだ完成されていない世界にあってキリストに結ばれ新しく創造されたものとして生きるこれからの生き方なのか。そして生涯通してイエスに何度も何度も出会っていくたびに、軸足をどこにかけていくのか自分に問うていくのなのではないだろうか。

イエスと出会う、イエスの福音に生きることに軸足を置くということは「日々」「十字架」を背負って行くことから避けて通ることはできない。神が十字架上のイエスを痛みなく十字架から下ろして力を示さず共に苦しんだように、わたしたちも神との交わりの中で苦しみや困難は避けて通れないのだから。

イエスはわたしたちに問いかける。

「それではあなた方はわたしを何者だと言うのか」

イエスを探し求めることと同時に、わたしにとってイエスは誰なのかをわたし自身の内に向かって探し求めることはとても大事なことだ。アルタバルはその生涯の最後に探し求めていたイエスに出会い続けてきたことを知る。自分が求めた出会い方や捧げ方では決してないけれど、そこにイエスはおられ、イエスはしっかりと受け取ってくださる。わたしたちも神に信頼を持って歩み出す時、そこにイエスはおられ、苦しみや困難に悩む日にはイエスも共に苦しんでくださる。すでに恵みの中に生きている気づきを与えられたなら、わたしたちの軸足をどこに置くか自ずと決まってくるのかもしれない。

主よ、あなたは神の子キリスト、永遠の命の糧。
あなたをおいて誰のところに行きましょう。

毎日の生活の中で、わたしにとってイエスとは誰なのか、思いと言葉と行いによって告白することができるよう聖母の取り次ぎを願いたい。


教会の信心の中で「イエスの聖心(みこころ)」と「神のいつくしみへの礼拝」というものがある。

「イエスの聖心」はイエスの心臓のことだが、これは人間に対して燃えがる神の愛の心をシンボル化したものだ。イエスの心臓や聖痕といった傷への信心は12~13世紀にはすでに見られ、17世紀に現在の「聖心の信心」が確した。現在崇敬される聖心の図表には13世紀以前の心臓や傷への信心の影響が残されており、槍に貫かれた傷と茨の冠が描かれている。その心臓からは燃え上がる炎と十字架も描かれており、イエスの十字架においてこそ神の愛は完全にあらわされたことを実にシンプルかつ十全に描かれている。

17世紀に確立したこの「聖心の信心」はフランスの聖母訪問会修道女である聖マルガリタ・マリア・アラコクへの私的啓示に基いている。幻視の中で聖人は様々なことをイエスから啓示されるのだが、イエスによって伝えられた12の約束といった啓示は信心業そのものを遵守せよという命令ではなく、神の愛と救いはすべての人に開かれているのだということを意味している。当時ヤンセニズムという思想の影響で人々が聖体拝領を避け祭壇から遠ざかっていた。そのような時代にあってこの信心はイエスの限りない愛であり自己譲渡である聖体と祭壇に人々を招き、神の愛は予定されていた人ではなくすべての人に注がれ、その愛がどれだけ深く大きいものであるかを祭壇から遠く離れていた多くの人々に知らせるものだ。救われるものは少ない、多くの人間は愛されるに値しない、赦されない罪人は聖体を受けるに値しないと考えられていた時代に対して、決してそうではないということを教える実に確信をついた信心であり、時代背景的には現実を覆すような幻視の内容だったのかもしれない。ただ、今の時代から振り返るに実に時代に即した、必要なヴィジョンであり、それを示す信心業だといえるのではないだろうか。1600年代から1800年にかけて聖座への地方教会から度重なる請願と教会の入念な調査の結果1856年に教皇ピオ9世によって聖心の祝日が定められた。現代、多くの教会、修道会、国がイエスの聖心に奉献されている。

一方「神のいつくしみの礼拝」はポーランド人修道女聖ファウスティナへの幻視に基づく信心である。1931年に聖人は最初の幻視を受けそのイエスの姿を画像を描くように依頼される。そこに描かれているイエスは祝福のため片手を上げ、その胸からは二つの光が射し出ている。この二つの光は水と血を意味し、それぞれ霊魂を着とする水と霊魂の生命である血をあらわしている。十字架上で刺し貫かれた脇腹から流れ出た血と水はイエスのいつくしみから溢れ出たと言われている。イエスの足元には「イエスよ、あなたに信頼します」と書かれている。現代の「聖心の信心」と言っても良いかもしれない。この信心は1973年に聖座によって認可され、ファウスティナは2000年にヨハネ・パウロ2世によって列聖された。

この信心の本質は「信頼」と「いつくしみのわざ」である。読み書きもままならなかく、貧乏で無学という理由で多くの修道会から入会を断られ、一年間働いて持参金を捻出し修道院に入った貧しく小さな修道女にイエスは「人々の霊魂を救うために、わたしに力を貸してほしい。」と願われたと言う。時は第一次世界大戦から第二次世界大戦へと向かう最中、共産主義とファシズムの台頭、宥和主義の破綻と軍国主義に伴う軍事力増強といった、平和やいつくしみ、そして信頼とは全く反対の方向へと進んでいた。その時代の最中、無学な修道女に私的啓示としてイエスが語り人々に告げよと願ったのは「信頼」と「いつくしみのわざ」であった。

中世以降、教会は政治に直接関与することも支持することもないが、政治的な出来事に関して決して無関心ではない。教皇レオ・13世の「レールム・ノヴァルム」以降、現教皇に至るまで多くの社会教説が発布されている。それが正しかったのか、的外れだったのかは、どのような立場や主義に依拠するかによって違うわけだが、長い教会と社会の歴史を様々な観点から振り返る時、今日を生きるキリスト者がどのように生きることが求められているのか、見当違いかもしれないがわかるのではないだろうか。

カトリック教会では特定の月を奉献して記念している。3月は聖ヨゼフに、5月と10月は聖母に捧げられている。

今月6月はイエスの聖心に捧げられた月である。「イエスの聖心」にしても「いつくしみの礼拝」にしても、まず信心業そのものをしてみるのも良いし、一旦置いておきそれらの信心業の本質と背景は何なのか、わたしたちキリスト信者に何を求めているものなのか思い巡らすことはとても大切なことのように思う。

この月に人間はすぐいつくしみと信頼を捨て神でないものを神としてしまう。そうしなければ生きていけない現実に放り込まれていることに気づいていても目を背ける人もいれば、気づけないほどにすり減らされてしまっている人もある。神の愛といつくしみはかぎりなく深いものであり、人すべてに用意されている。その神の愛に信頼するわたしはどう在るよう招かれているのか、聖霊の働きに信頼し、聖母の祈りに支えられつつ心に思い巡らし過ごしたいと思う。





イエスの聖心のご像(カトリック北11条教会)



いつくしみ深いイエスのご絵
この主日、教会ではルカ福7・36~50が朗読された。

新共同訳では「罪深い女を赦す」という小見出しが、本田哲郎神父の訳には「宗教者はイエスをさぐり、『道をふみはずした』女性はイエスを受け入れる」という小見出しがつけられている。

本田神父の小見出しにある通り、イエスの時代の宗教者(ファリサイ派の人)はことある毎にイエスの言動をさぐり、あわよくば亡き者にしようとしていた。この会食も言ってしまえばイエスを失墜させる機会作りだ。それにもかかわらずイエスは食事を共にする。自分に従う者とだけ時を過ごすのではなく、そうではない人とも共に過ごす。ここにイエスのフラットで開かれた在り方が見える。

この会食が行なわれている家に一人の女性が入ってくる。「この町に一人の罪深い女がいた」と名前すら記録されていない女性。名前もあげずに誰と特定できるのだから、察するに町の人すべてが「罪深い」と認識し、町の人すべてから「罪深い女」として扱われていた女性だったのだろう。町の人にしてみれば日常生活では自分たちが関わることのない「周縁」の存在。ファリサイ派の人にとっては罪とけがれをもたらす家になど決して招き入れることのない女であり、何よりこれからイエスについてさぐってやろうとわざわざ設定した会食と自分たちの筋書きを台無しにしてしまうとにかく厄介な存在だ。

そんな日頃の状況をさらに悪化させることくらい目に見えているのにもかかわらずこの女性はイエスの許へ向かい、イエスの足元で涙を流し、その涙でイエスの足を濡らし、自分の髪で拭い、その足に香油を塗り接吻した。

当時の習慣で外出による足の物理的な汚れだけでなく宗教的な概念でのけがれを持ち込まぬよう、家の者も来客者も足を洗うのが習わしであったと言われている。ただ、沐浴に足りる水を確保できる人足、つまり使用人や奴隷がいる裕福な家でなければ出来ないことだった。

「罪深い女なのに」と心の中でつぶやくシモンに対しイエスは借金帳消しのたとえ話と、シモンの礼節のない態度とこの女性のしたこととを対比させて諭していく。

このエピソードの後半部分に「罪は赦された」と度々出てくるが、イエスのシモンへの諭しの中、47節の「赦された」は現在完了である。この女性の赦しは他でもない「今」のこととして書かれている。

「だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさでわかる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」

このイエスの言葉はいくつか解釈の余地がある。多くの罪が赦されてしまったからこそイエスに示した大きな愛を行った、という捉え方。もう一つは、多く愛したから多くの罪を赦された問いう捉え方。前者だとこの後に続く女性への罪の赦しの宣言と噛み合わなくなるし、後者なら愛することが赦しの条件となってしまう。神の赦しに条件付きの赦しはないのだ。だが愛の思いがなければ人々との関係におけるゆるしの必要に心が開かれることもない。

この箇所は愛と赦しの関係を豊かに教えていると思う。

罪と訳されている言葉は直訳すると「的外れ」という意味だ。罪というとリストアップできるような悪徳な行いというイメージがある。それだと悪い行いを糾す事とその行いを正すことといった道徳・倫理に基づく行いの問題となってしまう。世の中のすべての行いそのものの善し悪しを規定することは教会の仕事はないし、まして福音ではないと思う。

罪とは神と人間の、そして人間と人間の関係性の中での問題である。罪とは愛の源である神から人間を背かせる力であり、その結果陥ってしまった状態、すなわち愛の欠如と言えるのではないだろうか。

赦しは愛を生みだし、愛は関係性へと紡がれていく。赦しと愛とは相互的なものであり、そこから人間同士の関係性においてどう生きるかが問われる。赦しとは「免罪」という意味よりも「関係の回復」であり「和解」を意味するものではないだろうか。その和解は常に先に神の方から人間ひとりひとりに開かれており、そこからわたしたちも他者へと開かれた者として在ることへと招かれている。「道を踏み外した」状態から立ち返る時、神への、自分自身への、他者への信頼が生まれ、その信頼こそが愛を深化させていくものである。

教皇フランシスコはいつくしみの特別聖年にあたり人々に心を開くこと、特に自分とは全く異なる周縁での生活を送る人々に対して心を開き、偽善と利己主義を覆い隠す無関心という壁を共に壊すことができるように呼びかけている(Misericordiae Vultus 15)。

まず自分が自分自身と和解しているのかをじっくり見つめてみたいと思う。この壊れた世界にあって、道標すら見落としてしまう脆い人間が壊れていないわけがないのだから。自分の中にある無関心と決別していくことができますように。走り寄って共に歩んでくださる聖母マリアのたすけを求めつつ、福音が示す神の愛にこの世俗のど真ん中で生きることができるよう恵みを願いたいと思う。