おばちゃんの命日 | Verbum Caro Factum Est

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僕Francisco Maximilianoが主日の福音を中心に日々感じたことや思うことを書き綴るBlogです。同時に備忘録でもあります。

こないだ、5月8日(ゴーヤーの日なのか?)
おばちゃんの二回目の命日だった。

去年まではおばちゃんとオカンの命日には花を飾って
線香あげして
ちょっとだけ家庭祭壇(仏壇みたいなもんだな)の前に
座って二人のことを思い出したり、家族のことを思いめぐらせたり
なかなか打ち明けられないでいることなどを
こっそり胸の中で話したりしていた。

もちろんいまでもするのだけど、
肝心の祥月命日をすっかり忘れていた。

幸せにくらしていますよ
っていうのがなによりもきっと喜ぶのだろうけど
なんか腑に落ちないというか、
自分の薄情さを思い知らされた感じがして
自分自身になさけないなー、などと、
命日以外の感情がうごいているんじゃないか?
とか考えたりもしたのだけど、
やっぱそれも含めていろいろ考えさせられるのだろうな。

だれかこの感情の働きに名前を付けているのかな?
命日感情とかなんとか。

今日はいつもよりすこし長い時間ローソクに火を灯しておこう。

+ R.I.P.