指輪のような傷 | Verbum Caro Factum Est

Verbum Caro Factum Est

僕Francisco Maximilianoが主日の福音を中心に日々感じたことや思うことを書き綴るBlogです。同時に備忘録でもあります。

悲しみとか寂しさってなくならない、
ただそれに慣れてしまって
長年つけている指輪のように気にならならなくなるだけで、
決して消えることはないのよ。

映画「トーチソング・トリロジー」の中で、
主人公・アーノルドのお母さんがアーノルドに向かって話す台詞。

僕もふと、亡くなったオカンやバァさん(一番上の伯母さん)を思い出す。

それはなんか、こう、ドラマティックに思い出すんじゃなくて、化学雑巾かけてる最中だったり、ゴミを出さなきゃと部屋中のゴミを一袋にま
とめてる時だったり、お花をいじっている時だったり、味噌汁作ってる時だったり、ピアノ弾いている時だったり、近所の小学生が歩いてるのを見かけた時だったり。

オカンはこうだったなぁ。
バァさんってあんなんだったなぁ。

って思い出す。

でも、あまりにも忘れてしまいそうなので、いや、そんな細かいことは忘れてしまってもいいのかもしれないけど、なんだか忘れたくないので思い出したときにここに書くことにする。

というのも、この正月に実家に帰ったとき、部屋に入った瞬間まだまだオカンは生きていて、もちろんそこにはいるはずもないのだけど、空気っていうのかな、なんていうのかな、とにかくいるの(笑)。そして誰もが、オカンならこうする、オカンならああする、とそんなことばっか言っていてなんだか窮屈というか、窮屈でもないんだけど寂しいというか、時間が止まってしまっていて、正直辛かったのです。

僕は実家から300キロも離れたところに住んでいるからそのしばりがないわけで、勝手に一人で思い出していて。その温度差たるやものすごいことになっているわけでして。

だったらこんなのブログに書かんでもえーやん、という話なのですが、これがまた書きたくなるんだな。かさぶたの裏を見たくなるのと一緒さね。

じゃ、思い出したときに、なんか書きましょ。