今日は、いつもの私とは畑違いのような、そうでないような音楽家の登場だ。
オペラの本場、ミラノのスカラ座のプリマドンナを務めたソプラノ歌手の林康子さん。
一言で言うなら、「正に本物!」
「オペラ歌手 林康子」という名前は昔から知っていたが、13年前までは彼女の生の歌声を聴いたことはなかった。
1997年、林さんが歌う、プッチーニの歌劇「蝶々夫人」の中で最も有名な「ある晴れた日に」を聴いた。
作曲でも豊かな才能が評価されている、指揮者を務める山本純ノ介氏もオーケストラも、本番前は緊張の色を隠せない。
やがて林さんの出番だ。
滑り出すように歌い始めると大ホールは瞬く間に彼女の世界になってしまった。
指揮者もゆったりとした大きな揺れを作り始める。
そしてどこまでも伸びて行く歌声は、かつて聴いたこともないような密度と、スピード感をもって私の心を突き刺しているかのようであった。
林さんの出番は、オペラのほんの一部、1曲だけのステージではあるが、全曲を聴いたような満足感と鳥肌が立つような感動が得られたのである。
歌い上げる音楽の素晴らしさと脈々たる音楽性の説得力には改めて心を打たれた。
舞台は国民文化祭かがわのオープニング・フェスティヴァルで、石井みつる氏が演出する創作ミュージカル(オペラ)の一場面である。
一流の美術家であり演出家の、石井氏の手に掛かった舞台は、隅々まで魂が込められている。
しかし、「ある晴れた日に」の表現について、林さんと石井さんとの間で喧々諤々の論議があり、双方の解釈に基づいて舞台上で試してみることに・・・。
たまたま論議の場に居合わせた林さんのご主人である、やはり世界的なバス歌手であるジャンニコラ・ピリウッチさんと私は、客席から見守った。
ピリウッチさんの助言も助けとなって、世界一流のプリマドンナとクラシック音楽に精通した演出家の解釈の相違は、新しい表現へと展開し、円満解決。
本番では、満員の聴衆からの喝采を浴びることとなった。
私が目の当たりにした芸術家魂は、計り知れなく大きなものであったことは言うまでもない。
「舞台って言うのはこうやって作って行くもんなんだ・・・。」と学ばせて頂いた。
指揮者の山本氏も本番直前まで、林さんと表現について念入りに確認し、ステージを高める努力を最後の1分まで続ける人であった。
思えば、裏方スタッフの一人一人も同じ気持ちで取り組んでいる。
やはり達成感を感じるステージはいいもんだ。
楽屋が離れていることもあって、林さんの誘導役と食事のお世話なども含めて私が担当したが、気さくに接して下さり、スタッフの私への気遣いも余るほど。
成功裏におさめたフェスティヴァルが終了し、翌朝、東京までのフライトが一緒だったので、私が林さんご夫妻の宿泊ホテルまで迎えに出て、タクシーで空港までご一緒することになった。
茶目っ気たっぷりにイタリアのお話をされる林さんは、舞台とは違う一面を見せてくれた。
「ミラノにいらっしゃいね。泊まるお部屋はあるわよ・・・」と。
東京での顔合わせとリハから数えて2週間ほどのお付き合いだったが、すっかり林さんの人柄に魅せられてしまった。
羽田でお別れしたが、最後まで笑顔で接してくれた林さん、本物の音楽家である前に、本物の人間像を見たような気がする。
近年は、芸大やその他の音大、各所で後進の育成に余念がない。
今日は日本のブラスバンド界では一番お馴染みと言ってもいいだろう。
リチャード・エヴァンス氏との思い出を・・・。
私がラジオ・デビューをしてから16年、番組の中でも何度も話題にしてきたが、 「ブラスバンド」と「吹奏楽」は全く違うものである。
世間一般に言われる「ブラ・バン」は、中学や高校の吹奏楽部のことで、 フルートやクラリネットなど木管楽器を含む編成である。
「ブラスバンド」は、イギリスを発祥とする一つの音楽形態で、 サクソルン属(円錐形の金管楽器)と呼ばれるコルネットやユーフォニアムなどの楽器を中心とする編成を持ち、150年以上の歴史がある。
日本では未だ一般的に認識度は低いが、現在は全国に50~60団体ほど活動しており、近年急増している。
30年程前は、金管楽器を勉強している人ですら未知のもので、 英国から訪れた最高峰のブラスバンドの演奏に驚かされたのだ。
1980年、レイランド・ヴィークルス・バンドを率いて来日したエヴァンス氏は、 英国のメジャー・コンテストを総なめにする最も優れた指揮者であり、 後にブラスバンド界最高の栄誉と言われるヘンリー・アイルズ・メダルを受賞した。
名門バンドの指揮者を歴任し、常にトップ・クラスに君臨する老練な指揮者の一人だ。
2004年、マンチェスターに滞在していた私を、彼が指導しているバンドへ連れてって頂くことになった。
96年製作の実話に基づいたイギリス映画 「ブラス!(原題は”Brassed Off”)」 のモデルとなったバンド、グライムソープ・コリアリー・バンドの練習場である。
今でも閉鎖された炭鉱の町、グライムソープにあるバンドルームで練習している。
愛車メルセデスのスポーツ・カーに乗り、モーターウェイを東へ時速100マイルで飛ばす。
車も快調、彼の口も快調だ。
「このインターで下りるとヨークシャー・ビルディング・ソサエティー・バンドと セラーズ・インターナショナル・バンドのバンドルームがある!」
「ここで下りると、ブリックハウス&ラストリック・バンドとブラック・ダイク・バンド!」
「フェイマス・バンド・ロードだ! グライムソープは一番遠い!」
更に一般道をひた走り、 果てしなく続く田園風景。
やがて人っ子一人いない灰色に沈んだ炭鉱跡が見えたかと思うと、 閑散とした小さな町に辿り着いた。
道中ガイドよろしく観光案内や、ブラスバンドの歴史、 英国のバンド事情を切々と語ってくれた。
余計な話も多かったが、思えばイギリス的なお話だった。
疾走する道の両側には広々とした牧場が続く。
牛を見つけるや、「あれはミルク・マシーンだ。」
「あれは、来年はステーキになってるに違いない・・・。」などなど。
ようやくバンド・ルームに到着。
ここからはガイド業務を終え、指揮者の顔になった。
練習に遅れたメンバーが揃うまで、彼は冗談を交えながら、自らの音楽経験で得た薀蓄やエピソードを語っている。
でもこの時間は既に、この後の練習のプロローグであった。
音楽の解釈や表現の注意をする時に、幾度もプロローグのエッセンスが登場する。
キャリアを積んだ指揮者の成せる技。
団員たちも素直に反応している。
彼の音楽はいつも活き活きとして、「生きてる喜び」を表現しているかのようだ。
これからも大いに彼から学びたい。
今日も日系のアメリカ人、アキラ・タナを紹介する。
長いお付き合いだが、いろんな思い出を作ってくれた人である。
最初の出会いは、1994年、ニューヨークのシェラトンホテルのロビーであった。
ジャズベーシストの加藤真一氏が紹介してくれた。
はじめはアメリカナイズされた日本人かと思ったが、実は風貌こそ日本人を持っているが、れっきとしたアメリカ人である。
札幌で生まれ2年間、日本で過ごしたが、アメリカ育ちの日系アメリカ人。
ハーヴァード大学出身の秀才であるが、オールマイティーな打楽器奏者として活躍、ボストンでジャズを学び、ジャズドラマーとしてニューヨークでデビュー。
一緒にボストンからニューヨークに移り住み、部屋をシェアして共に暮らした僚友は、あのウィントン・マルサリス。
後にアメリカきっての定評のあるベース奏者ルーファス・リードと共に、双頭のリーダとして、タナリード・クインテットを率いている。
世界中を飛び回る売れっ子のグループで、「黒い歌姫」と称される実力派のカーメン・ランディをゲストに迎え、我が社の制作で東京公演を行ったことがある。
「ニューヨークでこんな素晴らしいジャズに出会った」という「題名の長い音楽会」をよみうりホールで開催したのだが、ニューヨークのジャズ・コンサートの話を前置きしたことが功を奏し、観客のノリがすごかった。
当然演奏もすごかった。
彼らのミュージシャン・スピリッツはただ物ではない。
翌日は、NHK-FMの収録となったが、アキラとルーファスはリハーサルのテープを聴きながら、NHKのミキサーやディレクターと、近寄るのが怖いほど真剣な表情で、侃々諤々の議論の末、サウンドのバランスや音色を納得が行くまで一つ一つ決めていく。
この番組の収録には、それまで何度か立ち会ったことがあるが、比較的、音に関することはミキサーさんにお任せするプレイヤーが多いので、このような光景は特に印象に残っている。
アキラの一言が今でも忘れられない。
「音楽には演奏家の主張がある。音がリスナーの耳に届くまではミュージシャンの責任である。」
ミキサーさんが大汗をかいていたのは言うまでもない。
収録後のミキサーさんの弁。
「いやあ、今日は勉強になった・・・。」
彼のドラミングは切れ味があるので聴いていて実に気持ちがいい。
そして歌心があるので繊細でもある。
無駄な音は叩かない。
今までの共演者には、世界的な名前が幾つも飛び出す。
それだけ信頼の厚いプレイヤーということにもなる。
プロデューサーとしての活躍も精力的に行っている。
代表されるものは、ワシントンのさくらまつりのプロデューサーで、大きなジャズ・フェスティバルの責任者である。
ステージの上では、理性を失うことなくエキサイトし、ステージを下りると、温和な笑顔が周囲を明るくする。
私にとっても、国境を越えた最も親しい友人である。
彼と私は、ゴルフ友達でもある。
N.Y.のミッドタウンから車で20分、全米で最も古いゴルフコース、130年の歴史のあるコースに連れて行ってもらった。
ティー・グラウンドから100ヤード程の両脇にそびえ立つ背の高い木々の間を抜けるドライヴァー・ショットは、まるでオーガスタの気分。
この日は1ラウンド楽しんで、なんと25ドルであった。
アキラは今、愛娘、愛息を環境のいいところで育てたいと、ニューヨークからサンフランシスコに居を移している。
午前中は毎日のようにゴルフが出来ることも楽しんでいるようだ。
時々Eメールが届く。
「今度日本に行くので、オフの日にまたゴルフをしよう。」と。
私は最近、「ゴルフ」は封印しているが、また彼とコースを回ってみたいものだ・・・。


