Stars Simply Red
シンプリー・レッド
イギリスマンチェスター出身。
といってもこのグループ、ボーカルのミック・ハックネル以外初期のメンバーは脱退し、入れ替わりも激しいので実質ハックネルのプロジェクト的グループです。
上の曲からは想像も出来ないでしょうが、美大生であったハックネルがセックス・ピストルズのライブを見て衝撃を受け彼らをリスペクトして結成されたグループです。
とはいってもシンプリー・レッド自体はその数年後でその前身としてフランティック・エレベィターズというグループでしたが数年活動の後解散してます。
このグループの音は確かにピストルズの影響が垣間見れます。
このグループ解散後ハックネルがスタジオミュージシャンらと結成したのがシンプリー・レッドです。
ハックネル自体音楽的下地はそれ程無く、私はボーカリストの能力とアレンジ能力、音楽センスを評価している人物です。
デビューシングルにおいても上記が現れ「マネーズ・フォー・タイト」はソウルナンバーのカバーでしたが独自のアレンジで大ヒットします。
ソングライティングはその音楽活動の中で開花してます。
アレンジャーとしての能力を見せ付けたのが彼らの代表曲の1つとも言える「ホールディング・バック・・イヤー」で実はこの曲、シンプリー・レッドの前身フランティック・エレベーターズ時に発表してますが売れてません。
彼はこの曲のアレンジを若干ポップに振ることで現グループの色と調和させ大ヒットへと導きます。
また彼ら最大のヒット曲「イフ・ユー・ドント・ノウ・ミー・バイ・ナウ」もハロルド・メルフィンのカバー曲で原曲とアレンジをかなり変えて成功してることから彼のアレンジセンスが伺われます。
が、商業的路線を選びヒットに繋がったといえ英国批評家からは酷評されます。
英国批評家に酷評された商業的路線アレンジによる二つの曲が全米での1位獲得とは皮肉なものです。
それはあたかも米と英の音楽的違いを如実に表しているのかもしれません。
バンドの人気は上のシングル”スターズ”収録アルバム「スターズ」で頂点を迎えます。
曲を聴けばわかりますが若干ジャズっぽさを見せるこの曲を含むアルバムは全英、ヨーロッパで大好評となり発売から2年の間最も売れたアルバムとなります。
が、アメリカではこのアルバム以前のものに比べ受けずセールスも伸びませんでした。
このことから見ても米と英及びヨーロッパでは受ける曲調という面では隔たりがあるというのが事実でしょう。
私が始め彼の真価はソングライティングより音楽センスやアレンジの能力といったのこの事です。
英やヨーロッパ向けとか米向けとかの編曲を彼は計算してやったと後はっきり言っています。
彼はこの後も着実にヒットを出し続け2009年に「もうシンプリー・レッドとしてはやりつくした」とも言えるコメントをだし、2010年ツアーを最後にグループを解散します。
絶頂期から解散までの間にもダンスミュージック色にいったりジャズ系にしたりポップにしたりとアレンジを駆使し、また、沢山のカバー曲をヒットさせたところをみても彼は音楽センスとアレンジセンスに長けるの自負し、それを上手く生かして立ち回っていたと言えるかもしれません。
ではダンスミュージックに振ってラジオから人気に火がつき全英ナンバー1となった曲を。
Fairground Simply Red
シンプリー・レッド
イギリスマンチェスター出身。
といってもこのグループ、ボーカルのミック・ハックネル以外初期のメンバーは脱退し、入れ替わりも激しいので実質ハックネルのプロジェクト的グループです。
上の曲からは想像も出来ないでしょうが、美大生であったハックネルがセックス・ピストルズのライブを見て衝撃を受け彼らをリスペクトして結成されたグループです。
とはいってもシンプリー・レッド自体はその数年後でその前身としてフランティック・エレベィターズというグループでしたが数年活動の後解散してます。
このグループの音は確かにピストルズの影響が垣間見れます。
このグループ解散後ハックネルがスタジオミュージシャンらと結成したのがシンプリー・レッドです。
ハックネル自体音楽的下地はそれ程無く、私はボーカリストの能力とアレンジ能力、音楽センスを評価している人物です。
デビューシングルにおいても上記が現れ「マネーズ・フォー・タイト」はソウルナンバーのカバーでしたが独自のアレンジで大ヒットします。
ソングライティングはその音楽活動の中で開花してます。
アレンジャーとしての能力を見せ付けたのが彼らの代表曲の1つとも言える「ホールディング・バック・・イヤー」で実はこの曲、シンプリー・レッドの前身フランティック・エレベーターズ時に発表してますが売れてません。
彼はこの曲のアレンジを若干ポップに振ることで現グループの色と調和させ大ヒットへと導きます。
また彼ら最大のヒット曲「イフ・ユー・ドント・ノウ・ミー・バイ・ナウ」もハロルド・メルフィンのカバー曲で原曲とアレンジをかなり変えて成功してることから彼のアレンジセンスが伺われます。
が、商業的路線を選びヒットに繋がったといえ英国批評家からは酷評されます。
英国批評家に酷評された商業的路線アレンジによる二つの曲が全米での1位獲得とは皮肉なものです。
それはあたかも米と英の音楽的違いを如実に表しているのかもしれません。
バンドの人気は上のシングル”スターズ”収録アルバム「スターズ」で頂点を迎えます。
曲を聴けばわかりますが若干ジャズっぽさを見せるこの曲を含むアルバムは全英、ヨーロッパで大好評となり発売から2年の間最も売れたアルバムとなります。
が、アメリカではこのアルバム以前のものに比べ受けずセールスも伸びませんでした。
このことから見ても米と英及びヨーロッパでは受ける曲調という面では隔たりがあるというのが事実でしょう。
私が始め彼の真価はソングライティングより音楽センスやアレンジの能力といったのこの事です。
英やヨーロッパ向けとか米向けとかの編曲を彼は計算してやったと後はっきり言っています。
彼はこの後も着実にヒットを出し続け2009年に「もうシンプリー・レッドとしてはやりつくした」とも言えるコメントをだし、2010年ツアーを最後にグループを解散します。
絶頂期から解散までの間にもダンスミュージック色にいったりジャズ系にしたりポップにしたりとアレンジを駆使し、また、沢山のカバー曲をヒットさせたところをみても彼は音楽センスとアレンジセンスに長けるの自負し、それを上手く生かして立ち回っていたと言えるかもしれません。
ではダンスミュージックに振ってラジオから人気に火がつき全英ナンバー1となった曲を。
Fairground Simply Red