映画の話をちょっと。
なんか以前はいい人役ばっかりだったけど、最近はちょっとワルな役柄が多いデンゼル・ワシントン。
観ていない方に悪いのでネタ晴らし的な要素はなるべく避けたい関係で詳しくは書けないが、今回も完全なる善人ではないと言える。
航空機パニック映画みたいな始まり方で流石ハリウッドって感じのスピード感、スリル満載の航空機墜落のシーンでこれだけでも見ごたえ充分の前半の部分だが、実は物語の根底は別の部分だったりする。
デンゼンル・ワシントン演じる主人公パイロットが飲酒して操縦したと判明することから物語は新たな展開をする。その飲酒の事実をめぐっての物語って感じ。
私の周りのリアルな出来事とダブって本当に考えさせられた映画だった
私の極近しい人にアルコール依存症なる人がいたからだ。
元来外国映画ではいつもアルコールを飲む描写が多く使われる。
いつも違和感を覚えるのが、こんな真昼間からアルコール飲むの?ってとこ。
バーに出向いて飲む描写などは日本なら飲み屋に行って飲むという事と同じ。
仕事終わりにグラス傾けるのは日本で言えば「晩酌」なるものと同じだ。
でもよく外国映画で見かける風景、
主人公なり登場人物がある人の自宅なりオフィスを訪ねる。
すると古い映画などでは昼間でも訪ねて来た刑事さんに対して「一杯どうです?」とか「何飲まれます」とかいって自宅のバーカウンターなり、キャビネットにおいてあるウイスキーなりバーボンを勧める。「勤務中」とか断る場面も見受けられるが、普通にご馳走になり平然と車で帰ったりする。
ビールでさえ不謹慎だというのに、普通にウイスキー、ジン、ときにはウォッカとか。
また真昼間、自宅に帰って喉が渇いたのか日本なら冷蔵庫あけて水なり清涼飲料水なりを飲む場面で普通にグビッとアルコールをとか。
まあ文化の違いかも知れないが日本では完全にタブーなる描写だ。
といってもアメリカでも飲酒運転の罰則なりはあるのだが。
さて本題に戻ろう。
昔は「アルコール中毒」なる表現を使っていたが今は「アルコール依存症」が一般的である。
現実に病院で「アル中」なんですと言うと「その言葉は適切でありません。アルコール依存症と呼んで下さい。」と言われるみたいだ(実体験談)。
私の聞いた病院の医師の説明を簡単に書くと、
「中毒なるものはアルコールが欲する神経が伸びていく現象の事」らしい。
まあ飲酒を繰り返すことにより脳の中の神経が発達していき、まあいわゆる禁断症状を発する様になるという事だ。この発達した神経は長い時間を要するが当然体内にアルコールが入ってこないことで退化していく。
私は専門でもなんでも無いので説明が上手くできないのだが、なんとなく理解して頂ければ有り難い。
だが殆どの場合「アルコール依存症」なのだ。
現代でよく使われる「依存型」である。
ある行動、出来事をあるものに頼る、結びつけるの行為。
ネット依存、パチンコ依存、、、色々ある。
このアルコール依存症の人にかかれば何でも飲む理由に結びつけることが出来る。
たとえば「悲しい出来事」があったとしよう。この人曰く「これが飲まずにいられるか」だ。
逆に「楽しい出来事」があったとしよう。でもこの人は言う「こんなに嬉しい事はない、祝杯だ」と。
「イライラ」したとしよう。これもこの人の手に掛かれば「イライラするから飲まずにいられない」だ。
結局全てを「飲酒」する口実に結びつけること、それが「アルコール依存症」と言う事。
完全に自己抑制、自己管理の問題だ。
でも医師に言わせるとこの「依存」というのは完全に「病気の一種」で故に治療可能だと。
「心の病」なわけだ。
現代ではストレスに起因する色々な心の病があるが、それと同じように考えて貰って良いそうだ。
でも治療するには察しの通り本人だけでは自己抑制が効かないから症状が起こっているという特性から周り(家族、知人)なる者の協力が必須。一番簡単なのは入院だ。
でも一番大切なのはこの映画のキーとなっている
「本人が自分は依存症だと自覚する」事である。
映画の批評という趣旨からずれてしまった様に思われるかも知れないが、最後まで見て貰えばこの映画のキーなるものが「本人が自覚する」という事だと解って貰えると思う。
なんか私らしくない「暗い」ブログになってしまった。
でも映画で感じた事は間違いなくこの事。
あ、あくまでも自分の事ではないですよ、あしからず。
