[ 永久丸の漂流 事件 ]


  愛知県田原市

江比間村(現田原市)の四人が船で遭難し、米国などを巡って帰国した「永久丸事件」

嘉永4年1851年永久丸の漂流開始から翌年3月アメリカの捕鯨船に助けられ、その船とともにべーリング海峡から北極海に入り捕鯨をしたことが記される、

沢山の国を移動して見て食べて体験して嘉永7年12月12日に下田港に到着


先に帰国した二人が住吉神社に常夜灯を奉納






















江比間港(現泉港)を出港した永久丸が冬の黒潮に乗り、小笠原諸島近海まで流され、85日間漂流。米捕鯨船のアイザック・ハウランド号に救助された。永久丸には岩吉(62)、善吉(40)、作蔵(21)、勇次郎(21)が乗っていた。4人はハワイまで運ばれ、岩吉と善吉はすぐに帰国。作蔵と勇次郎の2人は捕鯨船の母港の米ニューベッドフォードに渡り、カリフォルニアや香港などを経由し故郷に戻った。後に2人は田原藩の洋船「順応丸」に乗り、藩士として活躍したと記載されています。