『白瀬南極探険隊長の墓』


愛知県西尾市吉良町瀬戸


白瀬矗中尉は、1910年(明治43年)11月、南極観測隊を組織し、日本人として初めて南極内陸に足跡をのこしました、


白瀬隊は簡単な器具や装備だけで未知の大陸を踏破し、1912年6月に帰国しました、

だが、探険は国費で派遣されたわけではなく、人々の義援金と白瀬の私財によって行われた、

その為、多くの借金を残したと言われている、

秋田県由利郡金浦町出身の白瀬は、晩年、愛知県豊田市に移り住み、生涯を閉じた。

白瀬矗中尉没後の昭和22年ヤス夫人、次女タケコさん、孫・喜子さんの三人が生活に困窮しているという窮状を伝え聞いた、当時の吉良町長・棚木佐太四郎は住まいを西林寺に、そして教員免許状を持っていたタケコさんに横須賀中学校の講師の職を世話しています、

そんな縁で、白瀬家は本籍を金浦から吉良町へ移し、遺骨を西林寺に埋葬したのです。

白瀬南極探険隊長の墓




南極観測船しらせのスクリュー