ただいま、ちぃちゃん、期末テスト中。
みぃちゃんは、中間テストAのテスト1週間前に突入で。
絶賛、勉強しよう!期間中の我が家(笑)
ですが、昨日は、ちぃちゃんの誕生日でした。
15歳、おめでとぅ!!
パーティは、週末にする予定にしております。
中3の定期テストは、評定に響きまくるんで、大切ですからね〜。
マジでマジで(笑)
さて、その10日程前のある日、ちぃちゃんが言いました。
「うち、もうすぐ、15歳になるやん!15歳になったらな!臓器提供の意思表示ができるんよ!この前、道徳の時間に習ったねん!」
とな。
学校というものは、いろんなことを教えて下さるのだなぁと、感心した母。
母、そんな年齢のことまで、知らんかったわ(笑)
で、ちぃちゃん、自分の意思を考えてみたんだそうな。
「うちは〜、心臓が止まった後やったら、目以外なら、提供してもいいわ。顔は、触られたくないし、目はやめとくわ。うち、目(視力)も悪いしな。」
ふむふむ。
心臓止まってなかったら、もしかしたら生き返るかもしれないと思ったそうで。
「脳死」や「脳死判定」については、あまりちゃんと教わらなかったのかな?という印象でした。
私が「脳死」について、詳しく知ったのは、だいぶ前に読んだ小説からなんだけど。
東野圭吾さんの「人魚の眠る家」
子供がプールで溺れて、「おそらく脳死」という状態になるところから始まる夫婦の物語。
映画化もされています。
親になってから読むと、いろいろ考えさせられる物語です。
さて。
私は、ちぃちゃんがそう思うなら、それでいいと思ってて。
私自身も、死んで、まだ、使えるところがあるのなら、使ってもらえたら、反対に光栄だと。
我が子の死という、そんな事態には、遭遇したくはないけれど。
自分で意思表示できるって、大人への第一歩やし、これからも、いろいろ自分で考えて、決めて、いろんなこと頑張って欲しいなと思いました。
そのために親ができることは、子供の意思を尊重すること。
まず、話をちゃんと聞いて、認めて、親として、意見を言う。
でも、最終的に決めるのは、本人だなぁと、子供達も大きくなってきた最近は、よくそう思います。
選択肢を奪うことで、コントロールしようとしたら、子供からの信用を失うと思うので。
意見が対立しそうな時は、対話を重ねるのが大切。
子供も大きくなってくると、親子関係も、信頼関係だなぁと思うし、子供に気を遣わせるようなことにはならないようにと、そんなふうに考える、今日この頃です。