とても面白いこの ドラマ『哲仁王后』
遅くなりましたが
大きなタンコブ・・に引き続き 今回は
ちょっと大きなタンコブ
ドラマでの『大妃 趙氏』(追尊:神貞王后趙氏)
実際には『王大妃』とされています
それは「大妃」の尊語でしょ?って思いませんか
実は 〝違う理由”があるのです
。。。それは 次回詳しく
趙氏の夫であった孝明世子とは
あの ドラマ『雲が描いた月明かり』で
この素敵なパク・ボゴム世子の正妃
趙氏 (追尊:神貞王后趙氏)です
ドラマ『雲が。。』とは違い 残念ですが孝明世子
世子嬪趙氏と別れることも王位に就くことなく
若くして亡くなりました
更に実際には、世子嬪趙氏との間に息子を一人残しました
孝明世子の忘れ形見でもあるその息子が、
世子の父でもある祖父王純祖のあと即位(24代王:憲宗)
亡き父(孝明世子)を追尊(翼宗→のち文祖)
同時に母である趙氏も王妃追尊されました
しかし 。。。その憲宗も
1849年(憲宗15)23歳で継子無く 早死
これで 正祖から繋がる直系子孫は途絶えたことに
そこで 。。。
当時の大王大妃(先々代王妃)23代王純祖の妃であった純元王后が
義父王(22代王正祖)の父である思悼世子の庶子恩彦君の孫
19歳のイ・ウォンボム(李元範)を
純祖の養子として徳完君に冊封し即位させます(25代王:哲宗)
そんな経緯での 哲宗即位ですから
哲宗の王座は 正に 一点の上に乗っている・・ような
ぐらぐら揺れている。。。そんな儚い「座」でしたぁ
ドラマを観ていても わかりますよね
わ~~ぁ またまた ちょっとお話が・・・
それちゃいそうなので (笑) 戻しますww
ドラマ『哲仁王后』では
まだまだ「大王大妃」率いる 金氏一族が
権力を誇っているものの。。。
農民たちの不満がつのり各地で反乱が
その後の朝鮮を更に混沌とした時代に向かわせる
その中枢となっていくのが
この 趙氏を中心とした『豊壌趙氏』です
いろいろなドラマ・映画でも描かれた
朝鮮王朝末 動乱期
そして 儚く崩れていく大韓帝国
『東匪』 と言う言葉が
この『哲仁王后』でも 度々出てきますよね
『東匪』とは ・・・
朝鮮中期以降伝来した西洋思想である「西学」
に対し、1860年に崔済愚を創始者として朝鮮
で作られた思想宗教を『東学』と言います
この教えに共感した農民(民衆)たちが
哲宗時代後期になると南部を中心に拡大し、
東匪(東学軍)となって反乱を起こし、大きな問題
となりました
そうです! 『東匪』・・・と言うと
あのドラマ を思い出しませんか
そうです このドラマ『緑豆の花』へ続く 。。時代です
またまた続けて 可笑しな目線で
Marcall ムズムズ 歴史探究しちゃいました
ドラマのお蔭で ムズムズ興味が膨らんで
ドキドキわくわく 止まりません~~~
本日も お付き合い頂きありがとうございました
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