高麗王の名前に 『忠』の付く王

 

               その経緯 については

 

         「朝鮮王朝建国まで」でブログメモ の中や

 

       ドラマ『奇皇后』関連 でもまとめたことが有りますが

 

 

       史実がたくさん詰まった 歴史好きには堪らない(笑)

           

           ベル この ドラマ『王は愛する』 関連として

 

 

        

 

 

           もう一度 アジュンマMarcall 目線で 

 

            ドラマを繋げて 簡単にOK爆  笑

 

 

 

       ≪高麗 「元の女婿國」 となるまで≫ 纏めてみます

 

 

         高麗王朝を築いた「王建(ワンゴン)」は 

 

       地方の豪族と婚姻関係を結び、その力を借りて

 

       王朝を築き王朝を維持しました。    その為・・・

 

      豪族は門閥として力を着け、当然私兵を持ち発言力も

 

      大きくなっていきました。

 


         4代王光宗は王権を強化するため、

 

       門閥豪族が所有していた奴婢を一部解放させ

 

       その軍事力を弱小化させます。

 

 

         。。。 ドラマ『麗~花萌ゆる8人の皇子たち』

 

              月の恋人~歩歩驚心:麗』 原題

 

           

 

      イ・ジュンギ演じた 「高麗第4代王:光宗(王昭ワン・ソ)」

 

 

          そして、文臣の強化に努め、次第に武臣を

 

             おろそかにするようになります。

 

          しかし、やがて 18代王毅宗のとき、

 

       散々馬鹿にされてきた武臣たちが決起して文臣を虐殺

 

          王も廃位させ新王(19代王明宗)を擁立し

 

                 武臣政権を建てます。  

 

              王はお飾りの王に過ぎません。

 

 

            。。。 ちょっと古いですが 『武人時代』 

 

            

 

    

           繰り返される武人たちの権力闘争の中で

 

              王たちは廃位・擁立されますが

 

           1213年 3代王高宗が即位すると

 

           1216年  契丹が開京に侵攻、

 

          それを モンゴル軍の介入により退けると、

 

        今度はモンゴル=元国の脅威怯えるようになります。

 

            武人政権はかろうじて続きますが、

 

      1231年元の一次侵攻から1273年まで度重なる侵攻を受け

 

             高麗は荒廃していきます。

 

 

           。。。   亡きキム・ジュヒョクssiの

 

              ドラマ『武神』が そんな時代を描いています

 

        

 

            ジュヒョクssi 演じた 「キム・ジュン(金俊)」

 

 

           モンゴルとの戦いを継続しようとする崔氏政権を、

 

             モンゴルと講和を図ろうとする文臣政権が 

 

              武臣の金俊(キム・ジュン)と共に倒すと、

 

           23代王高宗元國に従属することを宣言します。

 

 

              高麗は元国に服属した状態に置かれ

 

                高麗は壊滅状態となります。

 

 

       遂に1258年皇太子(後の元宗)人質として元国に差出し降伏。

 

            高麗王は 皇帝・天子の呼称は一切禁止。

 

            皇太子(太子)の呼称も 世子に格下げされます

 

 

       1259年 モンゴル帝国の4代カーンであるモンケが亡くなると

 

       継承問題が勃発爆弾 モンケの弟達クビライとアリクブケが対立。

 

       当時、高麗の太子(世子)であった元宗はクビライを支持した。

 

             同年   高麗では高宗が亡くなり、

 

             世子は高麗に戻り即位 (高麗24代:元宗)

 

 

       まもなく 5代皇帝となったクビライは≪大元帝国≫国名を替え

 

            ≪大元帝国初代皇帝≫ となります。

 

 

          クビライ ・・・ ヂンギス・カンの4男トルイの4男

 

                兄(4代カーン)モンケは トルイの長男

 

                対立した弟アリクブケは トルイの6男

 

 

 

             元宗以降も 世子を「元」へ送り、世子時代を「元」ですごした

 

       世子は 先王の死去を受けて高麗に戻り王位に就きました

 

 

        高麗24代元宗の世子も 世子時代を「元」で過ごした後

 

       クビライの6皇女(生母:阿速眞可敦)を娶り、高麗に戻り

 

        王位に就きました    (高麗25代:忠烈王)

 

       

 

 

     クビライの皇女も 高麗の王后(元成公主/斉国大長公主)と OK笑い泣きDASH!

 

       

 

 

           わ~~ぁ やっと 繋がりましたぁ 爆  笑拍手

 

            ウォン(後の 忠宣王)の 両親 ベル

 

 

 

           以降    6代の王の諱に〝忠”が ショボーンDASH!

 

       

 

      イム・シワン演じる 世子(王願ワン・ウォン) ・・・ 後の26代:忠宣王

 

 

 

         「25代忠烈王・26代忠宣王・27代忠粛王・28代忠恵王

   

         29代忠穆王・30代忠定王 」  。。。 (忠のつく6人の王)

 

 

              後に 23代高宗も〝忠憲王” 

 

          24代元宗も〝忠敬王” の諡号が追加されます

 

 

 

             。。。 「忠恵王」の時代背景を描いたのが

 

                      ドラマ 『奇皇后』 

 

         

 

           

 

            じゃあ  これって どうして~~びっくりはてなマーク

 

 

          歴史ドキドキな皆様  ちょっと不思議に思うかも チューあせる

 

 

         「元」の皇族の妃を持ちながら 〝忠”がつかない王 !

 

              ドラマ 『信儀』 や 映画『霜花店』 での

 

               「31代王 恭愍王(コンミンワン)」 

 

 

         

         

 

       

          この約80年に渡る 元朝から脱却を図ろうと駆使した王

 

          「31代王 恭愍王(コンミンワン)」 であり 元国出身の王后も

 

          高麗の名前を持ち 高麗王后としての生涯を貫きました。 笑い泣きスゴイ

 

 

 

               。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

 

 

             世子ウォン(後の忠宣王)の母(元成公主)の事

 

                史実で伝わる その死 。。。 

 

                   無妃 が関していたのか 等々

 

 

               まだまだ 纏めたいコトが イッパイ有りますが 

 

              ちょっと 頭を冷やして 纏めますね  バイバイチューDASH!

 

 

  

 

         注意 文責はMarcall に有り、充分に調べたつもりですが

 

            確実なものではありません。 違訳や思い違い、

 

            追記や訂正も有るかもしれませんがお許し下さい。

 

            どうぞ、一説としてお読み頂けると嬉しいです ウインク

 

         ご理解の上、画像も含め転記転載はご遠慮ください 禁止お願い

 

 

   

         どうぞ皆様 『ドキドキドキドキわくわく』 お付き合いください

 

         足跡あし(イイネ!) 楽しいコメント お待ちしてます OKウインク

 

 

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