リンの妹 タンが 「貢女」のリストに
それを知った世子は 。。。 遂に
タンを 世子嬪に迎えて それを阻むことに
エ~ッ となる場面が描かれましたね
「貢女」 の歴史を
「貢女」というのが始まったのは (記録によると)
1232年(高麗:高宗19) 蒙古(元)の侵攻後500余名の
男女を送れと要求されたことから始まりました。「近親政策」
が理由とされましたが、その無茶な要求は酷いものでした。
高麗の美しい女性たちが元に連れて行かれ、高官達等の
妾として与えられるのです。 中にはその美しさを嫉妬した妻
に熱湯をかけられて酷い目に合う者も居たと言います
こういう〝道”を辿るのですから 。。。
世子が大切な友であるリンの妹であり、自分にとっても
妹のような存在であってタンを「貢女」にするなんて
どうしても 阻みたかった・・・ワケですよね
これも 『創作されたお話』 と思いましたが
調べてみると なんと 真実 スゴイ
世子(後の26代忠宣王)と 王族であるワン・ヨン一家
ドラマの様なつながりが有ったか。。。は謎ですが
史実として記録されている経緯を訳してみますね
『 当時世子(願ウォン:後の忠宣王)との婚姻は
世子の個人の意思が大きく反映されたものです。
忠烈王妃であり 世子の母:齊國大長公主が元國へ行く
為に「貢女」を選抜しましたが その中に西原侯(王瑛)の
娘が含まれていた。 世子が母妃と一緒に元國へ向かう
途中温泉へ泊ったのですが、世子の顔色が優れず その
ワケを尋ねると「将来 西原侯の娘を娶ろうと思ったのに
選抜された〝貢女”の中に入っていると聞いて落胆して
います」 と答え、このことを知った母妃はすぐに西原侯
の娘を貢女の中から外すよう命じた。
その2年後 1289年(忠烈王15) 15歳になった世子は
西原侯の娘を世子嬪として迎えました。 (静妃)
しかし、当時 元國の干渉期であった為、元國の公主でないと
王の第一妃と認められなかった為、静妃は世子(忠宣王)と
一番先に婚姻したものの、後に迎えた元國出身の公主と妃
に続く「第三妃」として記録されています。 』
( 更に後に、この静妃との婚姻は「近親婚」と非難を受ける事
になります )
参考文献 : 한국민족문화대백과사전(韓国民族文化大百科事典)
고려시대의 후비 (高麗時代の後妃) 等
文責はMarcall に有り、充分に調べたつもりですが
確実なものではありません。 違訳や思い違い、
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。。。。。 おまけ~
毎回最後に流れる OST 。。。 この曲は
コチラ → https://www.youtube.com/watch?v=hH-Z9RcfiCM
(著作権が有りそうなので 是非コチラでお聞きください)
ご存知の方も多いと思いますが
イム・シワン君が歌う ≪내 마음은(私の心は)≫
( 可愛い画像 お借りしました )
さすが 「ZE:A」 のシワン君
優しい声に じ~~んとしちゃいますね