朝鮮王朝 秘史・悲史 数ある中で 。。。
こんな哀しい運命と、悲惨な結末を迎えた世子 カワイソー
自らの罪では無く、廃位→流配 の後 生涯を終えた世子
今日は 光海君の一人息子 「廃世子・李祬(イ・ジル)」
の なんとも悲運な生涯(悲史) を纏めてみます
(ドラマ「華政」1話より 世子時代の光海君・世子嬪・世孫李祬)
( 同じく ドラマ中盤で 「廃世子・李祬」 )
( 同じく 夫光海君と共に廃位となる「光海君正妃柳氏」 )
まずは 。。。
≪仁祖反正≫ の概要から
参考文献 光海君日記(中・正草本) 等
序章 : 光海君日記(中・正草本)陰3月12日 5番目の記事
反正が(間もなく)起こる!と、若い内侍が王を背負い、
一人が引導し王をお連れし、醫官安國信の家に隠れる。
世子(李祬)は王を追ったが見つけられず莊義洞の民家
に隠れる。
1623年陰3月12日 大闕に火災が起こり 。。。 反正勃発
『 金自點(キム・ジャジョム)・金瑬(キム・リュ)・
李貴(イ・グィ)・崔鳴吉(チェ・ミョンギル)一派が
光海君及び〝大北派”勢力を排除し 。。。
綾陽君李倧(ヌンヤングンイ・ジョン)”を擁立し
反正を行った (綾陽君=後の「仁祖」) 』
陰 3月13日 西宮(慶運宮/今の徳寿宮)に幽閉されていた
(仁穆)大妃と(貞明)公主の幽閉を解き復位、迎える。
そうなんですw 実際には
ドラマ「華政」とは異なり、公主も母(大妃)と
共に西宮に幽閉されていました
亡き(永昌)大君も復位となる。
済州島に流配されていた大妃の母の流刑を解き迎える。
陰 3月14日 復位された(仁穆)大妃は、光海君に廃位を命じ
36条の罪目を書いた教示を下す。
廃王光海君は廃妃と共に、廃世子は廃世子嬪と共に
それぞれ江華島へ流配するという教示が下される。
陰 3月23日 廃王・廃王后、 廃世子・廃世子嬪は
江華島の別の場所に幽閉(圍籬安置)される。
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流刑後 どうなったか
≪廃世子 李祗 ・ 廃世子嬪朴氏≫
1623年(仁祖1)3月23日 廃世子は廃世子嬪と共に江華島に流刑。
幽閉(圍籬安置)される。
その後、二人は断食をしたり自決を試みたりしたことも有ったが、
約2か月後の5月22日廃世子(李祗)がトンネルを掘って脱出を試み
捕まると、三日後 廃世子嬪朴氏は自ら命を絶った (享年26歳)
仁祖実録 1623年(仁祖1)陰6月25日 1番目の記事
義禁府道士 李惟馨(イ・ユヒョン)が江華島に行き
廃世子に自決の命令が下された事を伝える。
廃世子は自ら首を括って〝自決”した。 (享年25歳)
この時、世子はこう言ったと記録されています。
『自ら死なず生きていたのは親の安否を按じての為であり、
トンネルを掘って脱出を試みたのもその為であった。』 と
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なんだかとっても 不憫な気がして 。。。 カナシイ
世子嬪朴氏の外祖父(母方の祖父)が この
李爾瞻(イ・イチョム) だと思うと 更に不憫に思えます
文責はMarcall に有り、確実なものではありません。
違訳や思い違い等あるかもしれませんが、どうぞ
ご理解の上、画像も含め転記転載はご遠慮ください
楽しいコメント、お待ちしてま~~~す
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こんな 悲運の 『廃世子李祗』
光海君の時代を描いたドラマはたくさんありますが
この悲運の世子についてはあまり詳しく描かれません。
何だかとっても不憫な世子 。。。 と思っていたら
最近の あるドラマの中に 〝もしも・・・だったら” と
このドラマでは 『素敵な姿で』創作話として 作られています
まもなく 〝衛星劇場で放送予定” の
Marcall ドップリ嵌った ドラマ
Marcall こんな観方で 楽しみましたぁ
歴史好きな皆様に 是非このドラマ 『こんな観方で』
視聴をおススメしたいで~~すw
どのドラマ って? この ど・ら・ま
本放送は 2/14 スタート ですが
1/31 に 1話先行放送 有り
CS放送(ch.219)衛星劇場で1話無料視聴出来ますよ
次回 詳しく 。。。 書きますね