皆様、開けましておめでとうございます
昨年中は 『韓国史アジュンマMarcall』の
拙いブログにおつきあい頂き
たくさんの応援頂き本当にありがとうございました
本年も 自由気ままに〝楽しく”
史劇ドラマを通して 韓国の歴史を
追及していきたいと思います
皆様 どうぞ今年もおつきあいよろしくお願いいたします
まずは その一段として。。。
間もなく 地上波(テレビ愛知)で間もなく !!
2019.1.9(月) 放送開始の
このドラマ≪花郎≫関連の 続きから
ドラマ「花郎」 から どんどん調べるうちに
と驚くことがたくさん出てきて
書きかけとなっている 他のドラマの関連も書けぬまま
「花郎世紀」 の中から
ドラマ「花郎」に繋がる≪な事≫をもう少しだけ
頭がパンクしそうになりながら纏めてみようと思います
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
それでは 第二弾 (笑)
ドラマとは全く異なる ビックリ !!
「只召太后」と「パク・ヨンシル」の関係
。。。。。。。。。。。。。。。。。
華やかな反面、ドロドロ悍ましい「新羅」の歴史
その一端 。。。 一説として
どうぞお付き合いくださいませ
。。。。。。。。。。。。。。。。。
≪只召太后≫ ?~574年(以後)
父: 23代王法興王 ?~540年7月没(在位514~540年)
母: 正妃保道夫人(または保刀夫人)金氏 生没年未詳
夫: 立宗 葛文王(イムジョン カルムンワン)
初名は徙夫知(徙夫智?サブジ) 生没年未詳
父法興王の弟
15で50を越えた叔父に嫁ぎ 20代で未亡人となる
長男: 眞興王(チヌンワン)
526年生~576年没
追記します ≪生年に関して≫
≪三国史記≫では 534年生まれ
≪三国遺事≫では 526年生まれ
( 共に 即位年に関しては540年)
540年7月祖父王(23代法興王)の崩御により
24代王即位しますが
541年3月までは 祖父王の妃(保道太后)が
以降551年3月までは母(只召太后)が垂簾摂政
在位 540年7月~576年8月まで 36年1ヶ月
(一説には チソに次男: 金肅訖宗)も居ますが
「花郎世紀」では 金肅訖宗の母は金珍娘主
夫: 朴䇦失(パク・ヨンシル) 生没年未詳
そうなんです~~~ び~~っくり
ドラマ「花郎」の中では パク・ヨンシルって
『チソの最強の政敵であり、
神国(新羅)の権力の中心人物』 ですが
実際には 。。。なんと!! 夫!!
父法興王の遺命により 朴䇦失(パク・ヨンシル)と再婚
。。 でもやっぱり夫婦の仲は良くなかったようです
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
仲悪い夫婦でしたからか??
ヨンシルもまた他に! そして チソも たくさん
≪苔宗(テジョン)異斯夫(イサブ) 生没年未詳≫
叔明公主の父 です
そして。。前回書きましたが 若くしてチソの寵愛を受けた花郎
≪ 二花郎(イファラン)・・・後に4代風月主となる≫
( ドラマの中と実際とは父母が違いますが )
前 はコチラ → 若くして寵愛を受けた花郎
そして >>> なんと、なんと
≪枕臣(チムシン)≫・・・つまり〝寝所”の御供をする人物
チソ太后の 〝愛人” ってことですよね
≪枕臣(チムシン)仇珍(クジン) 生没年未詳≫ が居て
娘: 寶明宮主(ポミョンクンジュ) と言う娘が居り
寶明宮主は 後に 『眞興王・眞智王・眞平王』 の後宮となります
なんだか
。。。 な 場面や
。。。 な 場面が浮かんできますが ・・が・・が
創作されたお話 として 深く考えないことにいたします (笑)
。。。。。。。。。。。。。。。。
文責はMarcall に有り、確実なものではありません。
追記・修正もあるかもしれませんがお許しください。
どうぞご理解の上 Marcall 的〝一説”として
お楽しみいただけると幸いです
画像も含め転記転載はご勘弁ください
皆様の 楽しいコメント お待ちしてま~す