『文宗哀話』 死後も尚、寂しく〝독수공방(獨守空房)” 。。。前半 | Marcallのイケイケ韓国ブログ

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子供の受験勉強と一緒に韓国語を勉強し始め、娘息子は父母に。私もハルモニ~♡
 根底に流れる〝史実”を知って、 もっと楽しく『韓国史劇』を観ませんか?
歴史大好き ♡ Marcall の 『アジュンマ目線で歴史探究』  どうぞ皆様ご一緒に♪

   テレ<style type='text/css'>@import url(//stat100.ameba.jp/blog/ucs/css/editor/htmlarea.css);</style>ビ 久々にBSで放送された ドラマ≪王女の男(原題:公主の男)≫ 

 

            ちょうどいいから纏めてみようと 


             書きかけていて 。。。 書けぬまま 

 
           すでに放送終了してしまいましたが 冷や汗汗

 

      前回の訪韓の折買って来た本の中から 〝こんな事ワホー♪ワオ



               


       本参考文献: アゲアゲ↑「王を産んだ後宮達」 より


 

        追記)  この本は 題名の通り 。。。


       王の正室(王后)ではなく側室(後宮)で有りながら


       王の跡継ぎ(次期王)を産んだ後宮達 八名について


       その生涯を中心に書かれた本です。


       その中の一人 ≪端宗の生母〝顕徳王后権氏”≫


       について書かれている部分の中から ひらめき電球となった事


       が有りましたので、訳してご紹介してみました。


 

 
         ≪ 朝鮮王朝第5代王 文宗  


         死後も尚、寂しく〝독수공방(獨守空房)”  

 

 
          ちょっとご紹介してみたいと思います。
 


 

 


 
    注意 文責はMarcall に有り、確実なものではありません。

 

     違訳・思い違い等あるかと。更に、訂正追加することも。 ゆるして  
 

      どうぞご理解の上、画像も含め転記転載はご遠慮ください 禁止  


 

            皆様の 楽しいコメント お待ちしてま~~す 音譜  

 

 

          。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

           画像は ドラマ「王女の男」からお借りして

 

          。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 


    とうとう〝端宗は首陽大君に王位を譲り、形ばかりの上王に 泣くうるうる  

 

 

             そんな悲しい場面から カチンコスタート 

       

 

 

    少し遡りますが 端宗のこの「悲しい運命」の〝発端”は 。。。

 

  あの世宗大王の長子であり端宗の父、そして首陽大君の兄≪5代王文宗≫

 

         ドラマの中での文宗はこんな姿で 。。。

       



      

 

   冷ややかな目で 兄である王の異変を見つめる首陽大君 青ざめ顔怖。


           


      王(文宗)の  哀しい〝最期ドンッ” が描かれました しょぼん

 

           。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 


  
    以前、ドラマ「大王世宗」を観ながら 世宗の元子(嫡長子)であり
 


     世子(珦:ヒャン) ・・・世宗の王位を継承し第5代王となるこの『文宗』   


    の薄幸な生涯について 以前メモてみました。

 

       コチラをご覧ください →  ブログ 世子珦(ヒャン:後の文宗)  

 

    このように  文宗は 世子時代 二人の世子嬪を迎えますが

 

  おとめ座1 最初の世子嬪 徽嬪金氏 (父方の叔母は太宗の後宮明嬪金氏

 

                 ≪廃位・出宮≫

 

              ( 本 世宗実録 1429年(世宗11)7月20日)

 

             金氏は父により殺され、父も自害する (異説有り)

 

  おとめ座2 1429年、迎えられた 純嬪奉氏  ≪廃位・出宮≫

 

              ( 本 世宗実録 1436年(世宗18)10月26日)

 

         。。。 父王世宗はとても無念であったでしょう しょぼんDASH!

 

          最愛の息子の嫁を 続けて〝廃位”させることになるとはDASH!

 




  1431年(世宗13) 世宗は18歳になっても跡継ぎの居ない世子を   


         心配し、三人の後宮を迎えます。

 

      まず、世子宮の後宮制を 「従二品:良娣/従三品:良媛/

 

       従四品:承徽/従五品:昭訓」 体系化し 

 

      権氏・洪氏・鄭氏 の三人を 「従四品:承徽(スンフィ)」で迎える。

 

         おとめ座 権氏が  長女(~1433) 早卒 と

 

              次女:後の敬恵公主(1436~1473)を産み

 

              「従三品:良媛(ヤンウォン)」 

 

     1436年10月 二番目の世子嬪であった≪純嬪奉氏≫が廃位

 

      されると、世宗は悩み全国へ世子嬪選びの通達をしたものの

 

      決定する事が出来ずにいた。 「後宮から正室にしては?」と


      の大臣の意見に悩んだ末、同意することにした。  

 

     世子は洪氏を(三番目の)世子嬪に望んだが、洪氏より権氏が


     少し歳が上で、更に品階が上で有ったので

 

             (secret  洪氏も 娘を一人産んだ (早卒)   


 
                     との説もありますが 。。。)  


 

        おとめ座3 権氏が 三番目の世子嬪に決定した   


 

            ( 本 世宗実録 1436年(世宗18)12月28日)

  

     1441年 権氏は 長男:後の端宗(1441~1457)を産むが   



               翌日死去。         

 

 
     二人は廃位、権氏は産後病死と三人の世子嬪を失った世子は  


     その後、正室を迎えぬまま世宗の後を継ぎ ≪第5代文宗へ≫

 

          亡き権氏も 王后(追尊:顕徳王后)される。

 

     内命府の管理は 洪氏(貴人→肅嬪 洪氏)がしたものの 

 

      文宗は存命中最後まで≪正室(王后)を持たぬまま≫  崩御

 

      したという事になります。

 

            注意  質問頂きました 追記いたします


            内命婦 とは ・・・ 朝鮮王朝時代、宮中の女官として


                       品階を受けた者(宮中に仕えた女官)


                               (対) 外命婦


                朝鮮王朝の女性たち コチラ → ブログ 内命婦


                                   → ブログ 外命婦

  

             。。。 懲りちゃったのでしょうか(笑) それともきっとひらめき電球

 

               王子を産んでくれた権氏へのドキドキだったのでしょうか 

 

      文宗には 他に数人の後宮を持ち その中で

 

       昭容:鄭氏と尙宮:張氏が それぞれ王子を一人ずつ産むも

 

        共に幼くして死 (早卒)

 

      端宗と敬恵公主の他には ≪司則 楊氏の産んだ敬淑翁主≫

 

                 文宗は生涯≪一男二女≫ だけでした 

 

 

           。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。  



               以上が 大まかですが

 



            ≪文宗が亡くなるまで≫ の 哀話 でしたが  


 

                  。。。 次回、ちょっと頭を冷やして ショック!DASH!




               ≪死しても尚しょぼん ≫ なところに迫ります。

 

                皆様 「잠깐만 기다리세용~ラブラブ  



                     チャッカンマン キダリセヨ~ン  



                   (ちょっとだけおまちください sei
 



                        
   。。。 後半へ続く