それでは 遅くなりましたが 7/12 の続きです
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韓国での放送時、ちょっと気になって したことが
PCにより消えてしまった資料
残していたメモの山、そして頭の中を整理して
まとめようと思います (皆様どうぞお付き合いを)
≪李爾瞻(イ・イチョム)≫
大北派(光海君支持派)の領軸
(1560年生~1623.3.23没)
・・・ 最期については後日
本貫:廣州 字:得與(トギョ) 号:觀松(カンソン)、雙里(ソンニ)
子女: 3男2女 (李元燁、李弘燁、李大燁、 娘2人)
光海君の息子 世子(李祗:イ・ジル)と李爾瞻(イ・イチョム)との関係
ドラマの中で ≪世子嬪の外祖父≫と出てきた通り
世子嬪朴氏の母方の祖父 です
李爾瞻(イ・イチョム)の次女が 密陽朴氏 朴自興(パク・ジャフン)へ嫁ぎ
その娘が光海君の嫁(つまり世子(李祗:イ・ジル)の妃)になった
。。。 と言うことです。
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そして。。。 今回も
調べているうちに ≪意外な人物との関係≫が
先日(7/25)のBSフジ放送 39話(全65話中)でも
光海君の回想シーンで 登場しました この人物
(当時) 正式に王と認められ教示を受けた光海君
属国のように我朝鮮を〝盾”のように扱う〝明”に対して
「我が国の台頭を恐れて弾の製造法を教えずにいる。」 と憂い
それならば自力で開発し、明を恐れない強固な朝鮮を築こうと
その為にも是非 力を貸してほしいと願った男 。。。
≪ 李德馨(イ・ドッキョン) とは ≫
(1561生~1613没 ・・・病死)
本貫:廣州 号:漢陰(ハヌム) その他 雙松(サンソン)等
諡号:文翼(ムニク)
朝鮮中期の文臣であり、東人から南人の一員であったが、同じく東人
であったものの北人へとなり〝志を隔てた”李爾瞻(イ・イチョム)とは
10村兄弟(遠縁兄弟関係)でした。
幼い頃から大人しく聡明であったと伝わる李德馨は壬辰の乱(倭乱)
当時功を挙げたものの、逃げ遅れた夫人を捕虜として囚われ、屈辱
を受けるならばその前にと自害させる悲しい結果となる。
その後、宣祖・光海君からの厚い信頼を受け要職を歴任するものの
1613年6月 永昌大君と仁穆大妃の廃位に強く反対し
北人派の弾劾を受けるも強固に上訴し続ける内、
病いを負いすべての官職をはく奪され、
1613年10月 京畿道廣州の私邸で病死。
後に、仁祖即位後〝復権”される。
王 光海君が信頼するこの李德馨に協力を求めても 。。。
最後まで固辞し一線を退いた姿で描かれました。
≪永昌大君の廃位→流配→死刑≫を強く支持した李爾瞻(イ・イチョム)と
それを極力阻止しようと努めた李德馨(イ・ドッキョン) 。。。
その二人が遠縁であり、当初志を共にしていたということ、
きっと 一歳違いの仲の良い親戚兄弟であったのでしょう
韓国での放送を 熱~く視聴当時
この史実を知ってから観た ≪この回想シーン≫
李德馨を演じたイ・ソンミンssiの演技(表情)に
余計ジ~ンと なったのを思い出しますw
ちょっと複雑で マニアックな記事になってしまいました~~
文責はMarcall に有り、確実なものではありません。
熟考したつもりですが(笑) 間違い・違訳等お気づきの
点がありましたらどうぞお知らせいただけると嬉しいです。
訂正・追加などすることもあると思いますがお許しを~
朝鮮史韓国史劇大好きな皆様、どうぞご一緒に
楽しいコメント お待ちしてま~~~す
どうぞ、ご理解の上、画像も含め転記転載はご遠慮ください
明日(BSフジ)放送 華政41話(全65話に編集)
またまた変な男が登場してきましたね
≪イ・グァル≫ と言うこの男
。。。 実は〝大変なこと”を起こします
しばらくはどうぞ注目してご覧くださいね