韓国放送中のドラマ、視聴しながら 。。。
面白いを 皆様に是非ご一緒していただきたくって
韓国MBC放送中の ドラマ≪華政≫
四苦八苦しながら ≪即!速報≫しておりますが 。。。
これがけっこう 難しくってw ちょっと パワー
久しぶりに気晴らしに字幕付きのこのドラマでも観ようかな、と
BSで放送中の ドラマ≪王と妃≫
第45話 「端宗の婚禮」 を懐かしく視聴しました。
幼い王〝端宗”は 名目上は ≪強固な王権≫を築くため 。。。
≪正妃(礪山宋氏) 礪良府院君宋玹壽の娘≫ ・・・後の「定順王后」
そして 。。。 同時に揀擇(カンテク)を受けた
二人の 側室
≪淑儀権氏(本名:権仲非クォン・チュンビ) 権完の娘≫
≪淑儀金氏 金師禹の娘≫
この「端宗の夫人達」ついては 。。。
以前、ドラマ「王女の男(原題:公主の男)」を視聴しながら
ムズムズ 沢山書いてしまいましたが
コチラ 悲しい死を遂げた端宗、実は「妃」が!
端宗妃の眠る「思陵」
永遠の別れとなった「清渓川永渡橋」
また、今回 こんな事に ≪ムズムズ≫ となってしまいましたw
まったくwww どうしようもない、「Marcall虫 」です
皆さま、どうぞ呆れずに お付き合いくださいませ~~~
≪ムズムズ その1≫
なんで、それほど高くない家柄から王妃が誕生したのか
『 宋氏の父方の叔母が、世宗の寵愛した永膺大君(昭憲王后八男:
末息子)の妃(最初の夫人)であったのが大きく働いた模様であり・・・
首陽大君と宋氏の父(宋玹壽)とは旧知の仲であったそうです 』
追記: 世宗大王と昭憲王后の間の末息子(永膺大君)と
最初の夫人であった「帯方府夫人宋氏・・宋復元の娘」
について、興味深いつながりを見つけました。
。。。 また後日、まとめてみようと思います。
朝鮮王朝実録・端宗王実録
1454年(端宗2) 陰1月8日 一番目の記事
世祖(この端宗実録は端宗死後、首陽が既に王位に就いてから編纂さた為
世祖と表記されています)が、孝寧大君(世宗の次兄)・世祖の弟(臨瀛大君・
永膺大君・和義君・桂陽君・漢南君)等と 昌徳宮で 端宗の妃選びを行った
と記載されています。 その他 左議政(鄭麟趾)・右議政(韓確)・申叔舟
等の名前も そして 文宗の後宮であり端宗の母は亡き後、内殿を
任された粛嬪洪氏や 世宗の後宮恵嬪も見て揀擇に至った事が記載。
≪宋玹壽・金師禹・権完の娘を 揀擇≫
韓確 ・・・ (後の)インス大妃の父
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
≪ムズムズ その2≫
三人は一緒に 〝入闕”
中殿は孝寧大君の家から! それでは権氏・金氏は
『 中殿として迎える宋氏は孝寧大君の家に奉迎されて、
一番目後宮金氏は密城君(世宗の息子:母は慎嬪金氏)、
二番目後宮権氏は大司憲(今の警視総監)クォン・ジュン
の家から共に孝寧大君の家に行き、宋氏に随従して大闕
に向かった 』
。。。 すごいで~~~す ドラマのとおり
すごいですね、韓国史劇
≪たかがドラマ・・・されど、ドラマ≫
しっかり調べぬかれた 完成度の高さに
ちょっと 。。。
観ていて 何だか ・・・ 気になっちゃいましたw
≪右端≫に写っている 細い部分って 何~
旗 外にこんな建物ってありえる
もしかして 。。。 ≪編集洩れだったりして≫
ちょっと (笑) ムズムズ で・し・た
今回も
文責はMarcallにあり。 しっかり調べたつもりですが
確実なものではありません。 お気づきの点等が
有りましたら、どうぞお教えいただけると嬉しいです。
ご理解の上、転記転載はご遠慮くださいませ
併せて 。。。 楽しいコメントも おまちしておりま~~す
面白いを 皆様に是非ご一緒していただきたくって
韓国MBC放送中の ドラマ≪華政≫
四苦八苦しながら ≪即!速報≫しておりますが 。。。
これがけっこう 難しくってw ちょっと パワー
久しぶりに気晴らしに字幕付きのこのドラマでも観ようかな、と
BSで放送中の ドラマ≪王と妃≫
第45話 「端宗の婚禮」 を懐かしく視聴しました。
幼い王〝端宗”は 名目上は ≪強固な王権≫を築くため 。。。
≪正妃(礪山宋氏) 礪良府院君宋玹壽の娘≫ ・・・後の「定順王后」
そして 。。。 同時に揀擇(カンテク)を受けた
二人の 側室
≪淑儀権氏(本名:権仲非クォン・チュンビ) 権完の娘≫
≪淑儀金氏 金師禹の娘≫
この「端宗の夫人達」ついては 。。。
以前、ドラマ「王女の男(原題:公主の男)」を視聴しながら
ムズムズ 沢山書いてしまいましたが
コチラ 悲しい死を遂げた端宗、実は「妃」が!
端宗妃の眠る「思陵」
永遠の別れとなった「清渓川永渡橋」
また、今回 こんな事に ≪ムズムズ≫ となってしまいましたw
まったくwww どうしようもない、「Marcall虫 」です
皆さま、どうぞ呆れずに お付き合いくださいませ~~~
≪ムズムズ その1≫
なんで、それほど高くない家柄から王妃が誕生したのか
『 宋氏の父方の叔母が、世宗の寵愛した永膺大君(昭憲王后八男:
末息子)の妃(最初の夫人)であったのが大きく働いた模様であり・・・
首陽大君と宋氏の父(宋玹壽)とは旧知の仲であったそうです 』
追記: 世宗大王と昭憲王后の間の末息子(永膺大君)と
最初の夫人であった「帯方府夫人宋氏・・宋復元の娘」
について、興味深いつながりを見つけました。
。。。 また後日、まとめてみようと思います。
朝鮮王朝実録・端宗王実録
1454年(端宗2) 陰1月8日 一番目の記事
世祖(この端宗実録は端宗死後、首陽が既に王位に就いてから編纂さた為
世祖と表記されています)が、孝寧大君(世宗の次兄)・世祖の弟(臨瀛大君・
永膺大君・和義君・桂陽君・漢南君)等と 昌徳宮で 端宗の妃選びを行った
と記載されています。 その他 左議政(鄭麟趾)・右議政(韓確)・申叔舟
等の名前も そして 文宗の後宮であり端宗の母は亡き後、内殿を
任された粛嬪洪氏や 世宗の後宮恵嬪も見て揀擇に至った事が記載。
≪宋玹壽・金師禹・権完の娘を 揀擇≫
韓確 ・・・ (後の)インス大妃の父
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
≪ムズムズ その2≫
三人は一緒に 〝入闕”
中殿は孝寧大君の家から! それでは権氏・金氏は
『 中殿として迎える宋氏は孝寧大君の家に奉迎されて、
一番目後宮金氏は密城君(世宗の息子:母は慎嬪金氏)、
二番目後宮権氏は大司憲(今の警視総監)クォン・ジュン
の家から共に孝寧大君の家に行き、宋氏に随従して大闕
に向かった 』
。。。 すごいで~~~す ドラマのとおり
すごいですね、韓国史劇
≪たかがドラマ・・・されど、ドラマ≫
しっかり調べぬかれた 完成度の高さに
ちょっと 。。。
観ていて 何だか ・・・ 気になっちゃいましたw
≪右端≫に写っている 細い部分って 何~
旗 外にこんな建物ってありえる
もしかして 。。。 ≪編集洩れだったりして≫
ちょっと (笑) ムズムズ で・し・た
今回も
文責はMarcallにあり。 しっかり調べたつもりですが
確実なものではありません。 お気づきの点等が
有りましたら、どうぞお教えいただけると嬉しいです。
ご理解の上、転記転載はご遠慮くださいませ
併せて 。。。 楽しいコメントも おまちしておりま~~す