「宮廷残酷史」史実   「貴人趙氏(ヤムジョン)」母子の最後は? | Marcallのイケイケ韓国ブログ

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子供の受験勉強と一緒に韓国語を勉強し始め、娘息子は父母に。私もハルモニ~♡
 根底に流れる〝史実”を知って、 もっと楽しく『韓国史劇』を観ませんか?
歴史大好き ♡ Marcall の 『アジュンマ目線で歴史探究』  どうぞ皆様ご一緒に♪

           それでは 。。。 気になる事がまだ続き (笑)


          この ドラマ「花たちの戦い、宮廷残酷史」 の余韻を メモ

                
                
          ドラマでは 廃位され宮外に出された趙氏は 。。。

         怒った民衆たちから石をぶつけられて死んだ、と描かれましたが

         実際にはそうではありませんでした。

             
             それでは 。。。 実際にはどのように はてなマーク

         そして・・・残された子供たちも どうなったのでしょうか ここだけの話はてなマーク

                 まとめてみようと思います。  サーチ目  

                    。。。。。。。。。。。。。。。。。



         朝鮮王朝16代王仁祖は 1649年(陰)5月8日、世子(後の孝宗)に

         死ぬ直前まで孝明翁主と崇善君、樂善君を守るよう言い残し亡くなりました。


                  。。。 そうですひらめき電球 実は趙氏 おーい! 

                   1641年に もう一人王子〝樂善君”を産んでいました ぷぷ


                           ドラマでは 何とガーン 

                      自らお腹の子を流産させたと言う事に 青ざめ顔怖。
   


         当時、13歳であった孝明翁主(1637生)には政治的に婚姻を結ばされた

         夫(金自點の孫)金世龍が居ました。

         そしてなんとまだ11歳であった崇善君(1639生)にも申翊全の娘を!!

         夫人が居りました。



               崇善君の夫人(申翊全の娘) ・・・とは はてなマーク

                  更にMarcall ビ~~ックリ びっくりあせる

          実は この崇善君の夫人〝永豊郡夫人申氏” の母って えっ・・わぁ


                   
                    (ドラマ「花たちの戦い」 荘烈王后趙氏)

 
              なんとこの〝仁祖の継妃「荘烈王后趙氏」の だと言うのです。


              色々な思惑が交差して婚姻関係が結ばれるのでしょうが驚きです。


                   
        母である趙氏(ドラマではヤムジョン)は崇善君の夫人申氏を嫌い、孝明翁主の

        はした女であった英伊(ヨンイ)を可愛がり、崇善君と暮らさせたと言うのです。

              ドラマでも〝ヨンイ”という名が出てきましたよねひらめき電球


                    またまたビックリ~~~ビクーッえっ

                 このドラマでは、ヤムジョンに仕える女官として!ですが 

                         。。。 すごいです !!



                             色々考慮されて作られてる イヤらしいテレ顔チョキ

                             ≪韓国史劇≫ 本当に面白い合格



                     またまた 脱線しちゃいました & この位に (笑)




       平素より、仁祖と荘烈王后の仲を裂こうとしていた趙氏は、結局1651年

       (陰)11月23日金自點と共に〝荘烈王后と崇善君夫人申氏(王后の姉の娘)を

       呪う事件”が発覚
 。。。 (〝金自點の獄”と呼ぶ)

                怖いですよね~!! 息子の嫁まで!ですから 青ざめ顔怖。



       趙氏(ドラマ中のヤムジョン)は、陰12月14日〝賜死”とされますが、父王の寵愛

       を考慮した孝宗は貴人趙氏の称号は廃位せず、葬礼も「正一品貴人」の禮で
執り
 
       行うよう命じました。   。。。ドラマと同じだったのですね、感動です ぷぷ


       孝明翁主にも治罪をとの声が上がるも、孝宗は認めず放免とし夫の金世龍のみ

       死罪としました。 


             。。。  その後、孝明翁主は secret

            爵位剥奪され「김처(金の妻)」と呼ばれ、通川(トンチョン)へ流配

            されますが翌1652年、通川が寒いと言う理由で利川へ移配され、

            1655年には孝宗の命により、弟(崇善君・樂善君)が流配されている

            喬桐(キョドン)へ移され弟たちと共に暮らし、1658年遂に釈放

            されるものの生涯監視下に置かれながら1700年(粛宗26)64歳

            の生涯を終える。




       崇善君と樂善君はどのようであったかと言うと、弟たちには罪はないとの孝宗の

       反対は有ったものの、結局1652年廃位され喬桐(キョドン)へ流配されるものの

       孝宗は暮らしの援助を続け、1656年釈放となり最終的に1659年(陰)1月

       復位され、 1690年(粛宗16)陰1月6日 崇善君が 52歳

             1695年(粛宗21)陰3月14日 樂善君は 55歳で亡くなった。


       粛宗王は二人に対し、病に際しては御醫を送ったり、その死に際しては

       直接 哀悼をし、丁重に弔ったと
言われます。



                   。。。 如何ですか secret  粛宗が大切にした

               この 崇善君の息子が あの〝東平君(トンピョングン)”ですから


                      テレビ ドラマ≪張玉貞、愛に生きる≫ での

                    東平君と粛宗の仲のいい姿secret音譜 が目に浮かびませんか チョキ

                      
                      




          それと 。。。 大事な事を書くの忘れていました &

                  ドラマと大きく違っていたことが !!



          この一連の事 ≪金自點および一家の処刑から貴人趙氏の死まで≫が

              ドラマ「花たちの戦い~宮中残酷史」では

             〝孝宗即位間もなく” で描かれていましたが




          実際には このように 1651年(孝宗2)の事 ビックリマーク

             即位したのが 1649年ですから

           即位して三年目の出来事だった・・・と言う事でした おーい!キラキラ




                    。。。 深~く追究サーチ 達成感と共に

                       ちょっと疲れちゃいました~~ ぷぷあせる



                    ひとまず 。。。 仁祖・貴人趙氏関係は おわり

                    また とかげ が出てきたら ドラマ「華政」の進行に合わせて

                        調べたモノを書こうかな~と思います  ショック!DASH!



  


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