

新しい感動が イッパイ

ドラマ「イサン」を観なおしたお蔭で、
≪色々な歴史が繋がって、鮮明に見えてきました

≫昨年から韓国では チョッとした史劇ブームです


その上 ≪朝鮮王朝史
≫なMarcall とっても嬉しい「昭顕世子・思悼世子・・・・そして、光海君」モノ と続きました。
おススメ
史劇 。。。 時代の流れ順に
15代王となる光海君モノ ドラマ 『王の顔」 (韓国KBS2)日本
衛星劇場 3月本放送開始予定 2/22(日)1話先行
16代王仁祖の長男(世子)であり悲しい最期を遂げた昭顕世子モノ ドラマ「三銃士」 (韓国TvN)
日本
M-net 12/24スタート 現在放送中
そして 。。。 コチラは皆さまよくご存じ


父(21代王英祖)により 「米びつ死」という悲しい死を遂げた思悼世子モノ ドラマ「秘密の扉、儀軌殺人事件」 (韓国SBS)
日本
衛星劇場 2/19(木)本放送開始 1/31(土)1話先行
この「思悼世子」というと 。。。 もちろんこの ドラマ「イサン」
李祘(22代王正祖)の 父(思悼世子:李愃) です

BS-TBS にて 1/5(月)より 現在放送中 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
≪朝鮮王朝の歴史≫ を学ぶ上で、決して外すことのできない
≪秘史であり。。
。。悲史≫であるこの世子・王の歴史もしそのまま 〝生きて、または廃位されず" だったとしたら
そう言われる ≪光海君~昭顕世子~思悼世子≫
この正祖イサンまでの『歴史』を、ドラマを参考に
。。。 解り易くまとめてみようと思います。
どうぞ今回も 「朝鮮史

オタクMarcallの」≪アジュンマ目線の朝鮮史探訪
≫に お付き合いくださいませ。
いつも通り
文責はMarcallに有ります。熟考・熟読の上まとめたつもりですが確実なものではありません。
違訳、間違い等お気づきの方はどうぞお知らせくださいませ。
訂正・追加等ある事と思いますが、どうぞお許しを~

( 転記・転載はご遠慮ください。)
とても励みになりますので、楽しいコメントどしどしお気軽に
お寄せくださいませ。 お待ちしてま~~~す


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
(
王・王后の名は「諱(イミナ)」であり、死後贈られるモノですが、解り易くするためこれを使って
年号は陰暦、年齢は韓国式で 。。。 )

まず 「15大王光海君」に至るまでの歴史を簡単に13代王明宗と仁順王后沈氏との間に1551年王子が誕生し、
1557年7歳で世子に冊封するも、嘉禮を挙げて間もなく1563年13歳で死亡。
1567年6月 他に子女無く明宗が亡くなると。。。
ここで ≪直系による王位継承が途絶えることに
≫その 後 。。。
明宗の王后(仁順王后)は、明宗の異腹弟(後に徳興大院君追尊)の三男河城君
を王位に就ける。 (14代王宣祖)
(↓ 画像: ドラマ「王の顔」より)
(ドラマの中では)王位に就いた河城君は、「王の相」 を持って無い為
相応しくない者であるという負い目を抱えています。
実際にはどうであったかわかりませんが、直系では無い王位継承に一種の負い目を持っていたのも当然有り得ると思います。
更に、宣祖(河城君)には王后に子は生まれず、後宮恭嬪との間に臨海君
と光海君が居りましたが兄の臨海君は粗暴で王の資質が無いと、やむなく
次男の光海君を世子にしますが、宣祖は密かに寵愛する
↓後宮仁嬪金氏の次男信城君に世子を挿げ替えようと目論みます。
宣祖後宮「仁嬪金氏」
(宣祖の伯父であり先代王明宗の後宮慶嬪李氏とは従姉妹にあたる)しかし、1592年「壬辰倭乱」が起こり倭軍の侵攻が始まると、民や都を捨て
宣祖は妻子を引きつれ北方へ逃げる。その途中で信城君は15歳の若さで
急病死。
都に残った光海君は国を守るため、各地で義勇軍を募り決起して果敢に戦い
海では李舜臣等の活躍で、倭軍を撃退する。
壬辰倭乱・丁酉再乱(日本で言う文禄慶長の役)が終わり、都に戻った宣祖は
1600年王后が子女が無いまま亡くなると、1602年19歳の継妃(仁穆王后)
を迎えます。(宣祖51歳、光海君28歳)
1606年、継妃仁穆王后が宣祖唯一の嫡子である永昌大君を産むと正統性
を理由に世子の座を「光海君→永昌大君」にとの動きが起こりますが、実行
できぬまま1608年宣祖が崩御 (享年57歳)
幼い永昌大君よりはと言う決定が下され 。。。15代王光海君即位。
光海君 ・・・ 1575年4月26日14代王宣祖と後宮恭嬪金氏の次男として誕生。光海君は、父の寵愛を受けられぬまま世子時代を送り、
1608年父王宣祖の後を継ぎ「15代王即位」すると。。。
光海君が支持する大北派は反対勢力西人派粛清の動きが始まります。
西人派を支持する臨海君を謀殺。
謀反の嫌疑をかけられた外祖父(仁穆王后の父)に連座して幼い永昌大君
は廃位→江華島へ流配の末、過度に暖められたオンドルによって無残にも
蒸殺されます。(享年わずか9歳、不憫な生涯でした)
母仁穆王后は娘(永昌大君の姉:貞明公主)とともに幽閉されます。
この≪貞明公主≫の悲運の生涯を描くのが
4月頃より放送されるMBC新史劇「華政」です。
光海君は外交では江戸幕府と和議を結ぶなど、荒廃した国の復興に努めます。
中国では、明の力が陰りを見せ後金が突出してくると、「倭乱」の際、援軍を受
けた恩を理由に「明に援軍」をという臣下達の意見にしかたなく援軍を送りますが
後金の攻撃に敢無く敗れた後は後金とも・・・と 「中立外交政策」を執ります。
それを生ぬるいとみた西人派は、1623年3月13日クーデターを起し
≪光海君の王位剥奪→廃位→流配≫
光海君を題材にしたドラマには 「王の女」
チソン演じる「光海君」そして 。。。 これはもちろん 映画「光海、王になった男」
イ・ビョンホンの光海
光海君の話になると 熱く
なってしまうMarcallです。まだまだ書きたくなりますが、このくらいに


「光海君が暴君であると言う事には疑問が多い」と唱える方が多く
≪権力闘争に巻き込まれた悲運の王≫との見方も強いそうです。


替わって王位に〝就かされた"綾陽君(仁祖)は王道教育も受けてない
まさにお飾りの王でした。
この「綾陽君」とは どんな人だったのでしょう

調べてみると 。。。 ビ~~ックリ
実は あの 『宣祖が寵愛した後宮:
↑仁嬪金氏』から繋がるのです。宣祖との間に生まれた三男(宣祖にとっては庶五男)定遠君の長男として
生まれた綾陽君が王位に就き「16代王仁祖」となったのです。
仁祖(綾陽君)の父、定遠君は後に「元宗」と言う廟号を追尊されます。
綾陽君は宣祖にとって初孫であり、宣祖の寵愛を受けたそうです。
これが、反光海派にとって≪宣祖の寵愛した初孫を≫となったので
しょうね


父定遠君は、光海君(宣祖の庶次男)の異腹弟ですので、仁祖にとって
光海君は義理とはいえ「伯父」に当たるのです。
この時代は ・・・ 伯父と言えども容赦無いのですね (苦笑)


王位に就いた綾陽君は≪反・光海君政策≫、西人派の言いなりに
「親明対後金政策」を進めると、後金ホンタイジは明をことごとく打ち破り
朝鮮討伐に向かう。その結果、朝鮮は和議に応じ『兄弟の盟約を結ぶ』
(これを朝鮮史では「丁卯胡乱」と言う)
やがて、勢力を拡大した後金は『清』と国名を改め、「瀋陽」に遷都。
それまでの「兄弟の盟約」を『君臣関係の盟約』を結ぶよう迫った。
朝鮮内では「和戦論議」が交わされたが、清の要求を認めず宣戦布告
するも、1636年1月10万の兵を率いたホンタイジはあっという間に
鴨緑江を超え、わずか5日で漢城(現:ソウル)を占拠。
(これを朝鮮史では「丙子胡乱」という)
南漢山城に逃れた仁祖は45日間の交戦の末、降伏

1637年1月30日、漢江南岸三田渡に有る清陣営に出向き、
≪三跪九叩頭の礼≫と言う、土下座して床に頭を叩きつけて清への
忠誠を誓う≪屈辱の盟約≫を結ぶ事となる。
スタート部分が何とこの「三田渡の盟約」場面から
。。。 ドラマ「花たちの戦争」
(ドラマ冒頭部分 屈辱の「三跪九叩頭の礼」に向かう仁祖)
昭顕世子 ・・・ 1612年陰1月4日仁祖と仁烈王后の長男として誕生。清の冊封国となった朝鮮は 世子(昭顕世子)を人質として差出し、
世子は妻子、実弟鳳林大君夫婦と共に清(瀋陽)での人質生活を送る。
清と朝鮮の橋渡しとして苦悩の人質生活を送った昭顕世子、無理難題
な要求をする清、捕えられた清の者たちの返還の要求に、朝鮮で妻子
を持ち帰国を希望しない者たち、その狭間での苦悩などをしながらも
8年の人質生活から解放され1645年2月帰国します。
多くの事を学んで帰国した昭顕世子は ≪強固な新しい朝鮮≫をと志
を掲げますが、わずか2か月程後4月26日「急死」してしまいます。
マラリアによる死とされますが、体中に黒い斑点がいくつも観られ、その
不審な死を「毒殺説」、更にその死に父「仁祖」も関わったのではとの声
も出たものの、確たる証拠がないまま 。。。うやむやに。
王に対する「汚点」となるようなことは史実に記録される訳もなく
今も謎に包ままとなっています。


。。。 ドラマ「馬医」の冒頭部分は 昭顕世子と妃の帰還
とその不審な死が描かれました。
( ドラマ「馬医」関連でも詳しく
ご覧くださいね
)
ドラマ「馬医」 での ≪昭顕世子≫
ドラマ「三銃士」では、この昭顕世子を全く違った「世子像」として描いて
居ます。 その世子を守る≪三銃士≫が居たとして 。。。
まさに 朝鮮版 『三銃士』 として描いた架空の物語です。
ドラマ「三銃士」 での ≪昭顕世子≫
奇想天外でちょっと異質な昭顕世子が登場する「三銃士」
コチラもとっても面白い
です。。。。 その他、 ドラマ「推奴」等でも出てきますが
実兄「昭顕世子」の不審な死の原因追及と、父仁祖が受けた屈辱の歴史を
払拭するため、世子の死後世子となった実弟「鳳林大君」は王位に就いた
後、≪北伐≫を志し、軍備拡充・軍事力強化を進めます。(17代王孝宗)
。。。。 わ~、長々お付き合いありがとうございました
皆様 お疲れ様でした~~~


17代王孝宗 からのお話は
ちょっと 一息入れて書きますね


