♡実像に迫る♡   その1.淑嬪チェ氏は本当に粛宗に愛されていたのか? | Marcallのイケイケ韓国ブログ

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子供の受験勉強と一緒に韓国語を勉強し始め、娘息子は父母に。私もハルモニ~♡
 根底に流れる〝史実”を知って、 もっと楽しく『韓国史劇』を観ませんか?
歴史大好き ♡ Marcall の 『アジュンマ目線で歴史探究』  どうぞ皆様ご一緒に♪

      ドラマおとめ座 ≪張玉貞、愛に生きる≫にどっぷりハマったおかげで(苦笑)

               。。。今まで ど~~うしても疑問だった

         ≪ 淑嬪チェ氏は〝本当に″粛宗に愛されていたのだろうかガーンはてなマーク ≫

       淑嬪崔氏(スッビンチェ氏)の実像おとめ座はてなマークについてまとめるいい機会となりました。

                 注意王の生母と言えども、身分の低い女官と言うとなかなかはっきりとした

                  記録が残されていません。上手くまとめられるかちょっと不安。。。にひひ汗

                    (間違い・思い違いも有るかと思いますが、どうぞお許しをあせる

                     お気づきの点等ございましたら、どうぞお知らせくださいニコニコ


                  。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


      ≪淑嬪崔氏(スッビンチェ氏)≫ つまり、あのビックリマーク 『朝鮮王朝21代王英祖』の生母

           520年に及ぶ朝鮮王朝において、王位に就いた27人の内一番長く

               その1/10にあたる52年もの間「王位」について居た英祖の母。

           英祖とは、あの「正祖イサンの祖父」であり、イサンの父であり英祖にとって

           「実の息子思悼世子を〝米びつ死″」させてしまったあの英祖ですし。。。

           その母淑嬪崔氏が ガーンDASH! 韓国史劇ファンの皆様には 良くご存じの叫び汗

                あのドラマ「同伊」の〝トンイ″のモデル注意となった人物です。

                     ドラマ「同伊」より

                あくまでも〝モデル″ガーンチョキ です、あくまでもね~ DASH! )

       
            でも、こちらビックリマークドラマ「張玉貞、愛に生きる」の中での≪淑嬪崔氏≫は

                    「張玉貞・・・」より                   
                       ホント憎たらしい~むっむかっ

            (演技なのにね~~ミアネヨにひひ汗 でも、ムカッ・・・です~笑) 

         


           どうやら中殿様は〝キツネの子ではなく虎の子を″お育てになられたようだな

                    オクジョンはチェ淑媛に シラーむかっ

               中殿さまは賢い子をと思われただろうに

                    〝実に恐ろしい子″を育ててしまったようだ・・・と


                  。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


                   この「淑嬪崔氏」の実像に迫りますモグラとかげ

         本サーチ 本名については伝わっていません(つまりひらめき電球トンイと言う名は架空のモノ

               1670年(陰)11月6日生~1718年3月9日没 

                     (享年49歳 息子延礽君=後の英祖の私邸にて

                   本貫:海州(ヘジュ)

               父(崔孝元チェ・ヒョウォン) ・・・追贈(領議政)  母(南陽 洪氏)  


                出生を含め、詳しい記録は一切無いが 。。。

             サーチ入宮時期については   

              (後に息子英祖が母の為に建てた「神道碑誌文」によると)

               ≪1676年七歳で入宮した≫ と。

              両親とも早死の為、何らかの方法で入宮したと思われます。

              一説には「仁顕の父閔維重が連れてきた」とされていますが

              定かではありません。ただ後の一連の事件に深く繋がるように

              仁顕王后と〝特別な″関係であったのは事実のようです。


             サーチ ムスリ説はてなマーク 針房説はてなマーク

              ヒミツ 一般には「ムスリ(雑用係)」説かおはてなマーク

               (こんなお話もひらめき電球

              英祖は幼いころから母の〝手″が荒れていたことに心を痛めていた、と。

              初めて迎えた妃(貞聖王后)との初夜の時、「水仕事を一切したことがない」

              と言う妃の言葉に傷つき初夜を拒んだ。。。とか ショック!DASH!


               (また、後に高宗の代に伝わる話として)

              ヒミツ 「針房の内人」であった説

              누비(ヌビ)=刺し子、刺し縫いが一番大変だったと母から聞いていた英祖は

              刺し子の入った衣を一切着なかったと。


           どちらが正しいのかはわかりませんでしたが・・・もちろん身分の低い「女官出身」

           の母についての記録は「王の記録」の中に残されるはずは有りません
からにひひチョキひらめき電球


                。。。粛宗の周りの〝女性達″ヒミツ

                 ドラマの中で激しく対立した  メラメラ

                 「最大勢力西人を後ろ盾に」母后≪大妃(明聖王后金氏)≫と

                 「南人派の中心」大王大妃≪慈懿大妃趙氏=16代王仁祖継妃莊烈王后)

                  の事も含め 。。。

              ≪強い王権を目指し、三度もの「換局(政権交代)」≫を詳しく掘り下げて

                   私の好きなにひひチョキ〝玉貞の実像″そして・・・

                       ≪淑嬪チェ氏≫の実像に迫ろうと思います。

                       。。。少しだけお待ちください。。。頭を冷やしますね ショック!汗
         



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