≪張玉貞、愛に生きる≫にどっぷりハマったおかげで(苦笑)。。。今まで ど~~うしても疑問だった
≪ 淑嬪チェ氏は〝本当に″粛宗に愛されていたのだろうか

≫淑嬪崔氏(スッビンチェ氏)の実像

についてまとめるいい機会となりました。
王の生母と言えども、身分の低い女官と言うとなかなかはっきりとした記録が残されていません。上手くまとめられるかちょっと不安。。。


(間違い・思い違いも有るかと思いますが、どうぞお許しを

お気づきの点等ございましたら、どうぞお知らせください
)。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
≪淑嬪崔氏(スッビンチェ氏)≫ つまり、あの
『朝鮮王朝21代王英祖』の生母520年に及ぶ朝鮮王朝において、王位に就いた27人の内一番長く
その1/10にあたる52年もの間「王位」について居た英祖の母。
英祖とは、あの「正祖イサンの祖父」であり、イサンの父であり英祖にとって
「実の息子思悼世子を〝米びつ死″」させてしまったあの英祖ですし。。。
その母淑嬪崔氏が

韓国史劇ファンの皆様には 良くご存じの

あのドラマ「同伊」の〝トンイ″のモデル
となった人物です。
ドラマ「同伊」より(あくまでも〝モデル″

です、あくまでもね~
)でも、こちら
ドラマ「張玉貞、愛に生きる」の中での≪淑嬪崔氏≫は
「張玉貞・・・」より ホント憎たらしい~


(演技なのにね~~ミアネヨ

でも、ムカッ・・・です~笑) どうやら中殿様は〝キツネの子ではなく虎の子を″お育てになられたようだな
オクジョンはチェ淑媛に


中殿さまは賢い子をと思われただろうに
〝実に恐ろしい子″を育ててしまったようだ・・・と
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
この「淑嬪崔氏」の実像に迫ります



本名については伝わっていません(つまり
トンイと言う名は架空のモノ)1670年(陰)11月6日生~1718年3月9日没
(享年49歳 息子延礽君=後の英祖の私邸にて)
本貫:海州(ヘジュ)
父(崔孝元チェ・ヒョウォン) ・・・追贈(領議政) 母(南陽 洪氏)
出生を含め、詳しい記録は一切無いが 。。。
入宮時期については (後に息子英祖が母の為に建てた「神道碑誌文」によると)
≪1676年七歳で入宮した≫ と。
両親とも早死の為、何らかの方法で入宮したと思われます。
一説には「仁顕の父閔維重が連れてきた」とされていますが
定かではありません。ただ後の一連の事件に深く繋がるように
仁顕王后と〝特別な″関係であったのは事実のようです。
ムスリ説
針房説
一般には「ムスリ(雑用係)」説

(こんなお話も
)英祖は幼いころから母の〝手″が荒れていたことに心を痛めていた、と。
初めて迎えた妃(貞聖王后)との初夜の時、「水仕事を一切したことがない」
と言う妃の言葉に傷つき初夜を拒んだ。。。とか


(また、後に高宗の代に伝わる話として)
「針房の内人」であった説누비(ヌビ)=刺し子、刺し縫いが一番大変だったと母から聞いていた英祖は
刺し子の入った衣を一切着なかったと。
どちらが正しいのかはわかりませんでしたが・・・もちろん身分の低い「女官出身」
の母についての記録は「王の記録」の中に残されるはずは有りませんから



。。。粛宗の周りの〝女性達″

ドラマの中で激しく対立した

「最大勢力西人を後ろ盾に」母后≪大妃(明聖王后金氏)≫と
「南人派の中心」大王大妃≪慈懿大妃趙氏=16代王仁祖継妃莊烈王后)
の事も含め 。。。
≪強い王権を目指し、三度もの「換局(政権交代)」≫を詳しく掘り下げて
私の好きな

〝玉貞の実像″そして・・・≪淑嬪チェ氏≫の実像に迫ろうと思います。
。。。少しだけお待ちください。。。頭を冷やしますね


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