それでは 。。。 さらに追跡してみようと思います。
≪朝鮮王朝に入っても依然として 『美称としての○嬪』 が存在しました。
。。。 朝鮮王朝初期 「どんな人に」この呼称は与えられたのでしょう≫
文責はMarcallに。 一生懸命調べまとめたつもりですが、
誤訳・勘違い等、間違いがあるかもしれません。 お気づきの方は
どうぞお知らせください。速やか~に訂正させて頂きます。
( どうぞお許しくださいね~ )
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長く続いた ≪高麗王朝時代≫も終わりをつげ
新しく 李成桂を王に ≪李朝鮮王朝時代≫が始まります。
高麗時代とは違い 『一夫一妻制』 の儒教の教えに基ずく国を目指しますが、
以前 ≪朝鮮王朝の女性の髪形~カッチェが廃止されるまで≫を調べた時にも
そうでしたが、初めからスッと新しい文化に替わるのではなく、特に初期においては
以前の風習が根強く残っているものが多く、この≪呼称≫についても例外ではあり
ませんでした。
高麗末期に、王の周りの女性「寵愛する側室」に与えられた≪美称としての○嬪≫は
朝鮮王朝初期にも使われておりました。しかし・・・≪ちょっと違った美称としても≫
王・王后の名にあたる部分は「諱(いみな)」は死後付けられる
「諡(おくり名)」ですが、ここでは解り易くするため使用します
始祖太祖の長男(最初の世子:芳雨バンウ)の世子妃(廃妃)
・・・≪賢嬪(ヒョンビン)ユ氏≫ 内官と姦通したとか。。。で廃妃
今、KBS-wで放送中の「鄭道伝(チョン・ドジョン)」8/30放送35話では
父李成桂と志を同じく出来ず、高麗の民として父の行いを償い生きると
自ら退き山に籠って生涯を終える芳雨。悲しい父子の別れが描かれました。
太祖の八男(芳碩バンソク)の二番目の妃(廃妃)・・・≪賢嬪(ヒョンビン)沈氏≫
芳碩は太祖の第二妃(神徳王后)の三男(太祖にとっては八男。上の兄は
早死、下兄は芳藩)であり、太祖の寵愛を受け、太祖がこの芳碩を世子に
しようとしたのに反対した異母兄である芳遠(後の三代太宗)等が起こした
「第一王子の乱」で芳碩は兄芳藩と共に殺され、妃は廃妃となる。
太祖の次男(二番目の世子:芳果バンガ)の妃
上記「第一王子の乱」で芳碩が殺されると、意気消沈した太祖は次男を世子に封じ
間もなく譲位してしまう(二代王:定宗即位)
(二代王定宗妃:定安王后)の世子嬪時代の封号・・・≪徳嬪(トㇰビン)金氏≫
太祖の五男(芳遠バンウォン)の世弟の頃
(三代王太宗妃:元敬王后)の世弟妃時代の封号・・・≪静嬪(ジョンビン)閔氏≫
(以下同様 ドラマ「大王世宗」より)
芳遠に対抗しすぐ上の兄、四男芳幹等が起こした「第二王子の乱」が
起こると兄である定宗はすぐに芳遠を「王世弟」に。乱が終わると自分の身
の危険を避けるため、弟芳遠に譲位。 (三代王:太宗即位)
三代王太宗の長男(最初の世子:譲寧大君)の世子妃(廃妃)
・・・≪淑嬪(スㇰビン)金氏≫ 世子が廃されると同時に廃妃、格下げ
三代王太宗の三男(二番目の世子:忠寧大君)の妃
上の兄(譲寧大君)が世子に相応しくないとし廃され、三男の忠寧大君が世子と。
(後に父に譲位され四代王世宗となる)世宗大王の妃(昭憲王后)の
世子妃時代の封号・・・≪敬嬪(キョンビン)沈氏)≫
そして 。。。 ここからの二人は何とあの
≪世宗の長男(後の文宗)の世子時代の二人の廃世子嬪≫が
可愛そうなお話です。世宗大王の長男(世子:後の文宗)は世子の頃から
幸薄で娶った世子妃が二人とも≪廃妃≫となりました。
詳しいお話は以前書いた → ブログテーマ≪ドラマ「大王世宗」関連≫
2013.7.17「女福の無かった王世子(文宗)」
をどうぞご覧下さい。 悲しいで~す
温和で優しい王でしたが、王子を生んだ夫人も
直後に死に、正妃の無いまま即位(後、王后追尊)
幼い王子を残して文宗も死。幼い王子は王即位後
間もなく叔父である首陽大君(文宗にとっては実弟)
に王位はく奪される。。。死後もなお「幸薄」
・・・ ドラマ「王女の男」 へと
ミアネヨ~、パソコン調子イマイチで
まだ何故だか リンク貼り付けられず。。。。ご面倒ですが記事
2013.7.17「女福の無かった・・・」でお読み下さい
四代王世宗長男(世子;後の文宗)の
その1. 最初の世子妃(廃妃) 父方の叔母は太宗の後宮明嬪金氏。
・・・≪徽嬪(フィビン)金氏≫ 廃妃後死亡
その2.二番目の世子妃(廃妃)・・・≪純嬪(スビン)奉氏≫
(ドラマ「大王世宗」より 世子と二人目の廃世子妃:純嬪奉氏)
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このように 高麗時代の慣習にそって使われていた≪美称○嬪≫は
朝鮮王朝の初期においてはまだ 次期王である≪世子の妃≫に封号されて
おりましたが ≪世宗14年 世子妃としての○嬪は無くなり≫
王世子でありながら王より先に亡くなった世子の妃に封号される≪○嬪≫は
残りました。 。。。前回のブログ (さらに追跡②)参照ください
前回②のブログで
この≪王になれぬまま亡くなった世子の妃≫で世子死後≪○嬪≫を授けられた
二人の≪嬪≫ 。。。 「粹嬪(後のインス大妃)」 と「恵嬪(イサンの母:後の恵慶宮)」
を書きましたが 他に三人も居ました (追加です)
一人はドラマでもいろいろ出てきますたとえば・・・
ドラマ「宮中残酷史~花たちの戦争」や「馬医」でも
16代仁祖の長男(昭顕世子)の世子嬪・・・≪愍懐嬪(ミンフェビン)姜氏≫
≪姜嬪(カンビン)≫とも呼ばれます。
「宮中残酷史」より
「馬医」より
後二人は。。。
21代英祖の長男(孝章世子)の死後、亡き世子の妃に
・・・≪賢嬪(ヒョンビン)趙氏≫
孝章世子=イサンの父思悼世子の異腹兄。
23代純祖の長男(孝明世子)の死後、亡き世子の妃に
・・・≪賢嬪(ヒョンビン)趙氏≫
こちら2人偶然まったく同じ名前ですが、時代が違いますから
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たぶん これで洩れなく(笑) 。。。
朝鮮王朝の ≪○嬪≫ についてまとめられたかと思います
簡単に ≪王の側室の最高位・・・○嬪≫ と思っていましたが
調べてみるととてもたくさん 目からうろこで・し・た
すごく充実感 本当にいい勉強になりました~~~満足満足
。。。 皆様、長々 しつこ~い追及にお付き合いありがとうございました
次回は ちょっとだけ気楽な話題を
その後、途中になっていた 歴史番組「その日」の
≪朝鮮王陵の秘密≫の続きをまとめます
≪奇皇后関連≫ ≪張玉貞、愛に生きる関連≫もで~~す
文責はMarcall に有り、完全なものではありません
どうぞご理解の上、 画像も含め転記転載はご遠慮ください
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