王の側室最高位である「○嬪」を深く追求しているうちに 。。。  

         こんなところまで 辿り着いてしまいました にひひ汗


      まだまだいろいろな事に「高麗時代」の風習が残る≪過渡期≫の朝鮮王朝

         その≪初期朝鮮王朝≫を調べてみると 。。。 本サーチ

         とっても不思議な・・・面白い、興味深いことがたくさんクラッカークラッカー


       その中に、また違うショック!DASH!「○嬪」が出てくる≪王の周りの女性達おとめ座の呼称≫

       について まとめてみようと思います。


      その前に 。。。 まず

       ≪李朝鮮王朝以前の王の夫人たちの呼称≫についてサーチとかげ調べてみます

      

            パー 本当に複雑で、上手く訳せているか不安です。間違い等、お気づき

              の方はどうぞお知らせください。 速やかに再考の上修正させて頂き

              ます。 (Marcallラブラブ!


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            李朝鮮王朝以前の ≪王の夫人たちの呼称は?≫ 本サーチ目DASH!


      朝鮮半島の歴史の中で、王の周りの女性たちの呼称について伝わっているものは

      どうも、「高麗時代」からのようです。 三国時代から何人かの後宮を置いたという記録

      は有るものの制度に関して詳しく記録したものは無い。高麗史もことごとく消滅した為、

      朝鮮王朝の記録と比べてごく少ないのが現状です。


      高麗時代まではまだ「一夫多妻制」でしたので 王は複数の妃を持っておりました。

      以前、高麗の始まりをドラマ「太祖王建(テジョワンゴン)、「光宗大王~帝国の朝」

      に併せて≪夫人たち≫についてまとめたことがありますが、特に「王建」については

      5人の王后をはじめとし29人の夫人がありましたが、王権強化を図るため、地方豪族

      と婚姻という形で手を結んだ政略結婚でした。それ以降も血統を重んじ、近親結婚を

      奨励、亡き父王・兄王の妃を娶ったり、異母妹を娶ったり、今では考えられない程

      の複雑な関係を築きました。 

           注意関心お持ちの方はブログテーマ≪統一新羅~高麗史≫の中で

            詳しくまとめております。ご覧いただけると嬉しいです。メモニコニコ


      その制度が次第に整えられ6代王成宗の頃には唐にならって「内命婦」が作られ、

      王后を長として、その下に正一品の品階をもつ「妃」が置かれました。この「妃」には

      ≪貴・賢・淑・徳≫の4つの美称の内一つが与えられました・・・となっているものの

      実際には後宮であって死後王后に追尊されたり、低い位の「宮主」という後宮も居たり

      夫人たちの呼称も混在していたようです。その上後半になると度重なる蒙古の襲来で

      国は衰え≪蒙古→元の干渉下(諸侯国)≫となり、婿国として元の皇女を娶って王位

      に就かされます。 それによって、呼称は更に複雑に。


      干渉を打破しようとしたのが「31代恭愍王(コンミンワン)」です。

          。。。  もみじドラマ「信義」では

              

           美しいミノ君キラキラ演じるチェ・ヨン将軍にしっかり守られていましたねビックリマーク

           あの王様です。 ドラマ「シンドン」や映画「霜花店」にも出てきました。

      恭愍王も元国の公主≪魯国大長公主≫を娶って即位しましたが、二人の仲は

      とても睦まじかったと言います。公主は「高麗人」となって王を支え、王はそんな

      公主に≪王佳珍≫という高麗名を与えました。 王后の急死によって大きく失望

      した王は次第に気力を失い・・・政治をシンドンに任せるように (ご承知の通りしょぼん

          恭愍王の死後、高麗はまさに ≪風前の灯火≫ 。。。滅亡へと向かいます。


       ヒミツ実はこの恭愍王というのは、ドラマNEW「奇皇后」での凛とした高麗王ワンユ

         のパターンとなった「忠恵王」の実弟なのです。

         当時国内で勢力を振っていた「奇一族」を粛清しましたね

             (ドラマ「信義」にも出てきたとおりテレビ目ひらめき電球

        映画「霜花店」で恭愍王を演じた チュ・ジンモssiが 今回「奇皇后」で忠恵王を

        演じていますが。。。奇皇后の中での≪ワンユとスンニャンの恋の矢愛≫を考えると

             なんだか 複雑なしょぼん汗 気持ちになります。

   
                   どらま「奇皇后」より

           注意この「恭愍王の時代から、高麗滅亡、李朝鮮王朝建国」までについて

             映画「霜花店」を交えてまとめてみました。

             開城(北朝鮮)にある王・王后陵や面白いチョキひらめき電球「奇皇后の肖像画」

             もありますよにひひ(ウケます音譜ジウォンちゃんにはミアネパーですが~笑)

             テーマ≪李朝鮮王朝史≫の中の『ドラマを参考に時代を追って・・・』メモ

             (三回に分けて)書いています、是非是非ご覧くださいね~にひひチョキ


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       だいぶ、話がそれてしまいましたが (またまた汗ミアネヨ~~パーショック!


        結局、この高麗における「王の後宮に対する呼称」はすごく曖昧。。。

        つまり、朝鮮王朝と比べまだまだ≪嫡庶≫の重要性が乏しかったひらめき電球

        ということではないか、と思います。


           キラキラ この高麗の後宮に与えた美称としての≪○嬪≫が 

                 李朝鮮初期にそのまま継承され。。。となるようです。 

             それでは次回、 この美称としての≪○嬪≫はどんな人にはてなマーク

             そして・・・それがどのように無くなっていったのかドンッをまとめます。


             。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


        皆様、長々お付き合いいただきありがとうございました。

        上手くお伝え出来たか~~~ショック!汗不安ではありますが

        ここで頭が限界に 破裂ドンッしそうになってしまいましたMarcallガーンDASH!

         頭を冷やしてまた次回パーにひひ もう少しだけお付き合いくださいませ




             注意 文責はMarcall に有り、完全なものではありません。


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