映画 「風と共に去りぬ?!」 を史実に視点を置いて
シツコ~~く調べてしまいましたが (笑)
正祖イサンが愛した≪最側近の一人≫ 丁若鏞(チョン・ヤギョン)について
面白い事が たくさん出てきました~~~
〝ビックリ発見” が有りましたので ちょっと書いてみます。
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丁若鏞(チョン・ヤギョン) 本貫:羅州
1762年(英祖38)陰6月16日生~1836年(憲宗2)陰2月22日没
字: 美鏞(ミヨン)、頌甫(ソンボ)・・・初字:歸農(キノン)
号: 茶山(タサン)、三眉(サンミ)、與猶堂(ヨユダン)、俟菴(サアㇺ)、
紫霞道人(ジャハドイン)、籜翁(タゴン)、苔叟(テス)、門巖逸人(ムナミリン)、
鐵馬山樵(チョルマサンチョ) 等
諡号: 文度(ムンド)
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京畿道廣州郡草阜面馬峴(現在の南楊州市鳥安面陵内里ナミャンジュシ
チョアンミョンヌンネリ)で出生。
父:丁載遠 母は父の後妻である海南尹氏。 異腹兄一人(先妻の息子)
実兄二人実姉一人。 ・・・計 四男一女の 四男として生まれる。
丁若鏞の生家を含む所縁の地(南揚州)・・・行ってみました
関心おありの方はどうぞご覧くださいね
茶山(チョン・ヤギョン)生家・所縁の地
(旅行記)
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チョン・ヤギョンは 本当に ≪こんな眉毛だったの≫
最後の最後に ちょこっと出てきた ソン・ジュンギ演じる「チョン・ヤギョン」
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この眉毛については 結論から言うと ≪その通り、右眉に三筋の痕が≫
ただし、映画の様に 火薬が爆発して~ と言うのでは無いようです(笑)
ヤギョンは後に「天然痘治療」に関する書も残しますが、実は本人も幼い時
この天然痘に罹り、当時天然痘治療で名高かった王族出身の醫官イ・ホン
ギㇽの治療により九死に一生を得たそうです。その影響で右側の眉に三筋
縦に筋痕が入り眉が三つに分かれたような痕が残りました。 後日、「三眉
(サンミ)」と呼ばれるようになったのはこの事からでした。
後にヤギョンは醫官イ・ホンギㇽの医学を基盤に発展させた麻疹(紅疫)書
「麻科會通」を執筆します。 この書が現代医学が入ってくる以前の朝鮮
において多くの命を救う事となりました。 更にこの恩人であるホンギㇽの
生涯を綴った 「夢叟傳」も執筆しています。
。。。 もちろん ソン・ジュンギ=ヤギョンと言う訳ではありませんが
この「三眉」のこと調べているうちに≪恩人に対する厚孝≫
発見して・・・改めて「イサン」の中のヤギョンの姿も重ねて
ちょっと 嬉しい気分になりました (笑)
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まだ 興味深い事柄が一つあります。
なんと あのドラマ「イサン」では 洪國榮が流配死後、
偶然の様に 正祖イサンの元に現れたように登場しましたが、
実は~~~ この 「洪國榮」と姻戚関係が有るというのです。
と・いう・ことは 。。。 あのイサン母 恵慶宮洪氏、しいてはイサン
とだって〝姻戚” であるってことですよね~~~
。。。 ちょっと頭を冷やして 熟読してまとめようと思います
少しだけ お待ちくださいね~~