ドラマ「大王の道」の余韻に浸って 。。。 どうしてもこの悪女の顔がよぎります。
(画像はすべて ドラマ「大王の道」より)
ユン・ソナさんには なんの恨みも有りませんが(笑)
この顔が頭の中をグルグル![]()
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朝鮮王朝五大秘史の一つ 『思悼世子の米びつ死』 。。。。。。。
「積極的に関与、その首謀者の一人と言われるこの悪女ムン淑儀
」 から
その 『悪![]()
』 の死にざまを バサッと暴いてやろうと思います。
(ちょっと、過激な気分になって居る「ヘンな私です ウッヒッヒ ![]()
)
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
それでは ちょっと おさらいですがもう一度簡単に![]()
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朝鮮王朝21代王:英祖 後宮「淑儀文氏」 とは
生年不詳~1776年(正祖即位年)陰暦8月10日没
もともと、英祖長子(孝章世子)の正妃である「賢嬪 趙氏」に仕える女官でした。
孝章世子: 眞宗追尊(1719.陰2.15生~1728.11.16没)
賢嬪 趙氏:孝純王后追尊(1715.陰12.14生~1751.11.14没)
1725年 7歳の孝章世子に嫁いだ4歳上の賢嬪 趙氏は3年後
1728年11月16日世子の死により、わずか14歳で寡婦となる。
不憫な嫁を英祖はとても可愛がっていたそうですがその賢嬪 趙氏も
1751年11月14日に亡くなる。度々賢嬪の在所を訪れていた英祖は
賢嬪が亡くなると、その宮女であった文氏を寵愛するようになり 後宮に。
1753年陰2月8日正四品昭媛(ソウォン)に。後に、従二品淑儀(スギ)に
この文淑儀が金尚魯等と結託して「思悼世子」を死に至らしめた張本人の
一人だということは周りの者には周知の事実であったのに、知らなかった
のは自分だけだったと言う事を、英祖が大きく悔やんだと
実録の中に記載してあるというのです。
。。。 調べてみると
(
・・・英祖・正祖実録)
(間違いも有るかと思いますが訳してみます) ![]()
1762年(英祖38) 9月14日 2番目の記事
(1762年5月21日に世子が亡くなりましたから、わずか4か月足らず後の事
)
父:英祖が息子:思悼世子に対する深い後悔の想いが記録されています。
(実録は当時の草本を基にその王の死後完成されるものです。)
『金尚魯(キム・サンノ)は長い間上職に就いていたが、
欲深く腹黒い考えを持つことが多かった。しかし、その胸の内をはかり
知ることが出来ず、之が文女(英祖実録は英祖死後作成されているので、
「文女」と記載されています)と内密に結託して「國本」を危機に陥れるなど
と言う凶悪な謀議を企てていた事をようやく(今になって)知ることとなり、
生前に法を正すことが出来なかったことを 恨み嘆いた。』
と言うような内容が ![]()
國本・・・世子の事
(父王として、どうにか防げなかったのでしょうか~![]()
)
金尚魯(キム・サンノ)に対しては 次で詳しく書こうと思いますが。。。
金尚魯は 「弾劾を受け一時清州に送られるがすぐに特赦される」など
処分を受けますが、後宮であった文淑儀は英祖在位中は何の処分も
受けることは無かったようです。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
1776年(英祖52) 3月5日 1番目の記事
卯の刻(午前5~7時頃) 王が 慶熙宮の集慶堂で崩御。
。。。イサンが22代王(後の正祖)即位
。。。
1776年(正祖即位年) 3月10日 1番目の記事
先王の崩御6日後、 慶熙宮の崇政門にて 即位。
同日 4番目の記事には (あの有名な~~![]()
)
(殯殿の門の外に臣下たちを集め、こう「宣言
」しました。
余は「思悼世子」の息子である ![]()
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
そして、王(イサン)は父「亡き思悼世子」の死に関わった者たちを
粛清していきます。
まだ 先王の「喪」に服す期間でありましたが。。。
先王(英祖)の寵愛した後宮であった 「淑儀文氏」に対しても![]()
1776年(正祖即位年) 3月30日 2番目の記事
淑儀文氏の爵号を剥奪し、私邸に追放。 弟「文聖國」は奴婢に、
母は済州の奴婢とする。
この処分の後、廃淑儀文氏は蔑まれ『文女(ムンニョ)』と呼ばれることに![]()
![]()
実録の中にも 。。。
同年 4月3日 1番目の記事の中にも
和緩翁主(思悼世子の実妹=イサンの叔母)は『鄭妻(チョンチョ)』という名で
廃淑儀文氏の事は 『文女(ムンニョ)』 と記されています。
同年 5月13日 2番目の記事
文女の罪状を「教示」し、
(翌14日) 城の外に追放した。
同年 8月10日 1番目の記事
(英祖王の ”葬儀の期間” が終わるのを待って)
『文女』 に 死薬を与え自決させました (賜死) ![]()
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文女と 「英祖王」の間には 二翁主が居りました。
上の娘 : 和寧翁主(ファリョンオンジュ)
1752年生~1821年陰9月3日没
。。。思悼世子にとっては「異腹妹」であり、正祖にとっては
同い年の叔母でした。
13歳で「沈能建」に嫁いだ翁主には 正祖は臣下達の「処刑」
を求める声にも「情」をもって頑なに拒み罰を与えることも無く、
70歳の生涯を全うしました。
夫との間に 息子ひとり。
その夫沈能建はこんな事件を
1781年陰5月25日文女の生前の家を勝手に売ろうとしたと
「剥奪官職」されたことが。 (沈能建:1817年陰7月7日没)
下の娘 : 和吉翁主(ファギルオンジュ)
1754生~1772年12月18日没
11歳で「具敏和」に嫁ぎ1男2女を儲けますが19歳の若さで
亡くなります。
イサンが即位した1776年にはすでに亡くなっていました。
(夫 具敏和:1800年没)
このように さすが~~
正祖イサンは
父の無念を晴らすため「文女」を断罪しましたが
娘たちには 『情』 を施したと言う事ですね ![]()
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父の無念の死に対する 『断罪』 として
「賜死」 この 「廃淑儀文氏」 ![]()
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人々は 「文女」のことを 。。。 「仁祖の後宮 貴人趙氏のようだ。
生まれ変わりじゃないのか」など奇怪な噂まで飛び交ったと言います。
「16代王:仁祖の後宮 貴人趙氏」 とは~~~~![]()
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そうです!! お気づきの方も多いかも
ドラマ「馬医」
で冒頭部分の
「仁祖長男 昭顕世子殺害![]()
」を主導したとも言われた趙氏です。
それを暴こうとしたジニョンの父が無残に殺されましたね。
。。。 何と、またまた こんな所まで繋がってしまいました。
ドラマ 「馬医」 ![]()
「大王の道」「イサン」そして「同伊」や、
もちろん「大長今(チャングム)」「ホジュン」など手がけた
イ・ビョンフン監督の最新作![]()
ドラマ初出演という チョ・スンウの「笑顔」がとっても良い![]()
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またこちらの記事が書きたくなっちゃいました~~~![]()
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