「王女の男」関連   世祖(首陽大君)・・・若くして逝った「息子たち」 | Marcallのイケイケ韓国ブログ

Marcallのイケイケ韓国ブログ

子供の受験勉強と一緒に韓国語を勉強し始め、娘息子は父母に。私もハルモニ~♡
 根底に流れる〝史実”を知って、 もっと楽しく『韓国史劇』を観ませんか?
歴史大好き ♡ Marcall の 『アジュンマ目線で歴史探究』  どうぞ皆様ご一緒に♪



 幼い王 甥!「端宗」 から 王位を 剥奪したという 汚名がついて回る


         「朝鮮王朝 第7代王 世祖」  むっDASH!


 

 Marcallのイケイケ韓国ブログ  「王女の男」 より




   ドラマの中では 。。。。。 とても ひどい王様に描かれていますが


       そのすべてが首陽の真の姿では なかったように思えます。DASH!




   実際に起こった事件や結果を考えると・・・「あまりにも凄惨で叫び」ですが、


   この世祖が在位中残した「功績の数々」はとても素晴らしく、それを「全否定」


   されてしまうのも・・・残念な気もします。  ガーン


      でも。。。 やっぱり、あの幼い「端宗」を殺しちゃうまでは


           どうにか 思いとどまれなかったのでしょうかね~~しょぼんNG




    「首陽大君(後の7代王世祖)」については一度書きましたので


     今回は少しだけビックリマーク (関心のありの方はご参照ください)


                        ダウン


 世祖と申叔舟の意外な関係(前半をご覧ください)  


               ・・・(世祖後宮の一人に「申叔舟の庶女」が)




   世宗の次男として生まれ、その「王」としての資質は


        父王も 「見抜いていた」と。。。。。。 ガーン



   世宗は 世子(後の5代文宗)の 穏やかな気質を愛していましたが、


   次男(首陽大君)が 計り知れない「力」を備えていることを、


       一方では 喜びつつも 一方では憂いて いました。  しょぼんあせる



   したがって、父世宗は首陽に様々な学問、「王を補佐する」事を学ばせ、


        将来兄をしっかり補佐するよう命じたそうです。



   息子を同じように愛しつつも 王位は長男である「世子」にと 法を定め


   ました。 そして、亡くなるときにも しっかり遺言を残して逝きました。




   それでも 。。。。 これほどの 「血の嵐」が 起ころうとは 台風


        これも 父 世宗が案じていた通り ビックリマーク



   王位を継承した世子(文宗)が 病弱で わずか3年も持たずに


     この世を去ったのが 。。。 一番の「原因」 であったのでしょう ガーン


  そしてもう一つの大きな「原因」が ビックリマーク


     幼くして即位する王「端宗」には、代って≪垂簾聴政≫を行う母(大妃)も


     その先代の大王大妃もいないことです。 父文宗が即位前、後宮であった


     母との間に生まれた端宗と姉(敬恵公主)。母は端宗が生まれて間もなく


     死に、後に王后として追尊されるものの。まして祖母である(先々代王=


     祖父王世宗の妃)昭憲王后は世宗大王以前に亡くなっているからです。しょぼん



    。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。



  このような 「下地」の基に  。。。


    叔父である 「首陽大君」が 乱を起こし、反対勢力を抹殺・・・


    幼い 甥である 端宗(6代王) から 王位を剥奪するに至ったのです。




  この、今も「汚名」が付きまわっている「7代王世祖」(首陽大君)ですが、


  本人の 「自業自得」 ドクロ なのか。。。  子供に「縁が薄い」DASH!のです。




     その。。。 世祖の家系』 を少し詳しく書いてみます。




 王后 : 貞熹王后 尹氏(정희왕후 윤씨・ジョンヒワンフ ユン氏)


       坡平府院君 貞靖公 尹璠(パッピョンプウォングン

               ジョンジョンゴン ユン・ボン)の娘


       (1418年 陰暦11月11日生~ 1483年3月30日没)


                。。。。。。。。。。。。


          兄の後孫に 11代王中宗の第一継妃「章敬王后 」

 

                           ・・・12代王仁宗の母


          弟の後孫に 11代王中宗の第二継妃「文定王后」 


                           ・・・13代王明宗の母



             更にその「弟の家系」には。。。


                12代王仁宗の後宮「淑嬪 尹氏」 がいます。



                。。。。。。。。。。。。



           まったく叫び 驚くべき「ごちゃごちゃ」 ショック!DASH!


           実はこの「世祖王后」がすごい女性だったからその家系


           から是非「王后」や「側室」をと望んだのでしょう。


  貞熹王后 尹氏は 朝鮮王朝で初めて「垂簾聴政」


           行った王后なのです。


           この「垂簾聴政」とは王が幼い場合、先王后(大妃)や


           先々王后(大王大妃)が代わりに「摂政政治」を行う事。


           貞熹王后は、世祖が亡くなった後即位した次男「睿宗」の


           補佐をしますが、わずか1年2か月で睿宗が崩御。


           その息子はまだ4歳であったため、若くして亡くなった


           睿宗の兄(懿敬世子・・・「王女の男」でセリョンの弟であり


           父である世祖の長男(懿敬世子)として登場、ドラマでも


           その早い死が描かれていましたね~ショック!チョキの忘れ形見、


           二人の息子のうち、長男(月山大君)は病弱であったため


           次男である乽山大君を貞熹王后が推して即位(9代成宗)


           させますが、この時まだ13歳であったため、最初の7年間


           この貞熹王后が代わりに摂政政治を行いました。


           世祖と貞熹王后の「嫁」であり、懿敬世子の妻であり・・・


           何よりも(笑)この「成宗」の母である昭恵王后韓氏(後の


           仁粋大妃)はこの貞熹王后よりもはるかに「女傑」


           であったようにも伝わりますが・・・義母である貞熹王后が


           存命中は・・・一応控えていたのでしょうべーっだ!DASH!


  (ドラマ「王と妃」や新ドラマ「仁粋大妃」はまさにこの「女傑」


           であり成宗の実母「仁粋大妃」にスポットが当てられ作られ


           ていますので、併せてご覧いただくと面白いと思います。)



           。。。というわけで「世祖妃 貞熹王后」の家系から「嫁」を


              となったのも「しっかりと王を補佐」してくれる王后をと


              いうことからかなと思います。



  (この「女性」たちの系図については、


              詳しく調べていますので・・・何しろ「ぐちゃぐちゃ」で


              量も「膨大ビックリマーク」 ・・・うまくまとまるか ガーン汗ですが


              時間をかけて 「ライフワーク」として まとめて行こうと


              思っています。  本サーチ  ラブラブ!チョキ  )



 (貞熹王后の)子女  


       長男 : 桃源君 李暲(後の懿敬世子 李崇)  ・・・早世


                 (1438年陰暦9月15日生~1457年9月2日没)


                  ・・・第9代国王成宗の父。 「徳宗」と追尊。


       次男 : 海陽大君(後の8代王睿宗 


  (1450年陰暦1月1日生~1469年11月28日没



       女  : 懿淑公主



    (王女は一人となっていますが・・・ドラマ「王女の男」のように


    もう一人居た「形跡」も クラッカー あるのです。 ・・・ここでは「世祖実録」


    をもとに 「一女」としていますが 必ずしも「正史」が正しいとは言え


    ないとの意見も。 ドラマのように「何かワケがあり、その存在の形跡


    が消し去られたにひひあせる」のかも~~ひらめき電球


        このことに関連し 調べたこんな「事実」クラッカー 


        「王女の男」関連ブログの中に書きました。(ご覧くださいね)


                 ダウン


 セリョンは実在したのか?!



      。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 



   その他 は 簡単に書いておきます。 


 

(後宮)    謹嬪 朴氏


           子女 :  徳源君 李曙(1449年生~1498年没)

 

                 昌原君 李晟(1458年生~1484年没)



        廃昭容 朴氏


        淑媛 申氏   (申叔舟の庶女)  




      。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。




   ここで  キラキラ目 ひらめき電球 ・・・ となりました。



      この「世祖」 ビックリマーク       


     自業自得 かもしれませんが~~~~~ べーっだ!チョキ


   「何とも 子供に 縁が薄い思いませんか チョキ合格 」


    子供達に 「何の罪も」ありませんが。。。。。


    正室からの王子二人


       「懿敬世子(桃源君)も後を継いだ睿宗(海陽大君)も」


          共に 満19歳前後の生涯でしたから


     そして ・・・・


    その後の 「9代王成宗」即位にいたるゴタゴタドンッ


                    にもつながったのでは。。。。。



    更に その成宗の息子「燕山君」の 「狂乱」の時代へと続きます。



         。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。




   またまた 「ふか~~く」 考えすぎてしまいました にひひあせるあせる


     「朝鮮王朝史」 知れば知るほど 面白いです クラッカー

 




             注意 文責はMarcall に有り、確実なものではありません。


              ご理解の上、画像も含め転記転載はご遠慮ください &禁止


                 皆様の 楽しいコメントお待ちしてま~~す 音譜


              最後まで お読みいただきありがとうございました。 ラブラブ!ラブラブ