ドラマ「武士ペク・ドンス」の冒頭部分にでてくる この「三田渡の碑」 


         ・・・ 思悼世子が 「一刀両断ドンッ」している 「碑」です。




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           100年前の 「朝鮮 屈辱の歴史」を 。。。 


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     「一刀両断」 しようとした 21代英祖の息子(後の思悼世子)は


          この 「碑」 を 剣で 切り ドンッ


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            。。。  そして 屈辱の「碑」 は 



                  川の中へ   どぼーん! わぁ



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   もちろん、ドラマは創作されたものであり、史実とは少し異なりますが


   丙子胡乱(변자호란(ピョンジャホラン)・・・清国の朝鮮への侵攻)


    実際にあったことですし そのときの「三田渡の碑」も 残っていると。



      (この一連の事件 経緯は こちらに詳しく書きました。


               ご参照ください  ニコニコ           )



                        ダウンダウン


               『武士ペク・ドンス」背景・・・丙子胡乱 ひらめき電球




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    今回も(笑)  2012年秋ソウル旅行記ではありますが


       ドラマ「武士 ぺク・ドンス」関連として まとめることにします。



     それでは見てみようと 行ってみました あし



     以前は 地下鉄8号線「石村駅」近くにあったようですが、碑が元来


     立っていた場所に近い石村湖水の辺に移されたそうです。




   地下鉄 最寄駅は 2号、8号線 「蚕室駅(チャムシル)」



      そうです、ちょっと古いドラマですが「天国の階段」でお馴染みの


      「ロッテワールド」のすぐ傍の緑の公園の一角にあります。




         Marcallのイケイケ韓国ブログ  「ロッテワールド」



    いろいろな人に尋ねましたが 知っている人がいなくてちょっとビックリガーン


         あまり関心のある人がいないようです。


      年配の方に案内して頂いて、やっとたどり着きました。




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              アジョッシ、わざわざ案内してくださいました。


    「あなたがこんなに勉強なさっているとは、わが国の者達だって、もっと勉強


     しなくちゃいけないな」・・・とお褒め頂きちょっと恐縮にひひあせる 


    特に朝鮮王朝時代に関心があり、歴史所縁の地を回っていますと言ったら


    もっと前から勉強した方が良いと、延々早口で説明頂き(笑)三国時代から、


    今の日本との問題まで。。。途中から、頭がボ~~ゥっとなってしまいました汗

 

    (もっと韓国語になれるように頑張ります、アジョッシ、チェソンハムニダあせる


    最後にお礼を言いましたら、私も会えて嬉しかったよと丁寧に見送って頂きました。



          こんな出会いに感謝し 。。。


        少しだけ、韓国語が上達した自分ひらめき電球 嬉しくなりました。  ラブラブ!キラキラ   




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     上のほうに 確かに「大清皇帝功徳碑」の文字が目


      しかし・・・ そのほかに、


     「前左側にモンゴル文、右側に満洲文、そして裏面に漢文が刻まれている」 


     との事ですが、削られてしまったのかあまりにも薄くて良く分かりませんでした。 ショック!汗 



     『この碑は、丙子胡乱の際、清の太宗の要求により立てられた碑石である。


     正式な名前は「大清皇帝功徳碑」というが、文化財指定当時の地名を取って


     三田渡碑と名付けられた。都城から松坡に至る漢江の渡し場であった三田渡は、


     1950年代まで渡し船が通っていたが、70年代以後、漢江の開発により消え去っ


     た。碑石の元来の場所は、石村湖水の近隣と知られている。


     この碑石は、大理石系統の石で作られている。亀の模様を彫刻した台石の上に、


     碑文を刻んだ碑身が立てられ、上には螭首が装飾されている。李景奭が碑文を


     撰し、呉竣が字を書した。  碑石の前面は満洲文字とモンゴル文字で、背面は


     漢字で彫られており、17世紀における三カ国の言語の研究に重要な資料である。


     内容は、清に降伏した経緯と、清の太宗の侵略行為を功徳と賛美したものである。

 

     清日戦争〔日清戦争〕以後、清の勢力が弱まると、高宗32年(1895)に江水の


     中に倒された。しかし日帝強占期〔植民地期〕である1913年に再び立てられ、


     1956年に埋められてしまった。1963年洪水によって姿を現したため、再び立


     てられた  』  説明文より



          そして。。。  「亀趺」しかない これは 何~はてなマーク



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           近くに なにやら 書いてあります。


                       ダウン


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               「碑身の無い亀趺の由来」


             ( ・・・こんな事が書いてあります。)



      『丙子胡乱が終わった後、清太宗の戦勝記念のために碑を建てる中、


      さらに大きい規模の碑石造成される事を望む清国側の心変わりにより、


      作られた亀趺が不要となったまま残されたと推測される。


      当時の状況を考えると、清の強要を受けて亀趺が新しく製作されたようだ


      と文献資料から検討され記録する。』



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        以前は こんな「屈辱な石碑」もあったそうですが



              今は 撤去されています。



               (画像お借りしました)


                     ダウン



          Marcallのイケイケ韓国ブログ  「仁祖降伏の絵」



         ( 2012.秋 ソウル旅行記 ・・・三田渡の碑 )