プ馬鄭悰(チョン・ジョン)が 壮絶な「死」を遂げた後・・・生まれた息子。
処刑前夜 悰は その名前を 「どんな想い![]()
」で付けたのでしょうか
この場面 何度見ても 「涙涙
」 です。
。。。。。。。。。。。感動の 22話でしたが、
ネタバレ含みます。 ご注意ください。
最終話では こんな場面が ![]()
お父様の笑顔のように温かい陽射し![]()
そこへ・・・ 世祖と王后が突然やってきて慌てた公主はセリョンに知らせに ![]()
侍女の抱いた赤ん坊を見た「世祖」は
「その子が キョンへの子か
」と
・・・・・やはり、「姪母子」を 少しは不憫に思うのか ![]()
「プ馬 鄭悰」の忘れ形見 鄭眉壽(チョン・ミス)
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
この「정미수(鄭眉壽) チョン・ミス
」はその後どう生きたのでしょうか![]()
またまた。。。 わたしの 「好奇心の 虫
」 が動き出しました。
韓国の人名事典等 いろいろ頑張って(笑)調べてみました。
(訳は、 少し間違いがあるかもしれませんが ~~~![]()
)
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
鄭眉壽(정미수 チョンミス) 1456年(世祖 2)∼1512年(中宗 7)
本貫:海州(해주ヘジュ) 字:耆叟(기수キス) 号:愚齋(우재ウジェ)
父:鄭悰(チョンジョン)、母:朝鮮五代王文宗の娘敬惠公主(キョンへコンジュ)
全羅南道光州で出生。
父が処刑され亡くなると(1)、母と共にソウルに呼び戻され、母方の大叔父である
「世祖」に育てられます。 即位前の「成宗」に仕えますが、成宗即位後も罪人の
子であるという事で度重なる弾劾を被りますが、成宗がその都度庇い周囲をなだめた
ため無事でした。 文臣として数々の役職を歴任し・・・
やがて、1506年(中宗1)右賛成(ウチャンソン)となり、中宗反正(チュンジョン
バンジョン)の際、靖國功臣として 輔國崇祿大夫に上り、海平府院君となり
ます。 生涯 「文臣」として生き 1512年 57歳でこの世を去りました。
中宗反正(チュンジョンバンジョン)とは。。。 1506年 旧暦9月2日、
前例を見ないほど極悪かつ冷酷非情な君主である 燕山君が廃位され
燕山君の異母弟である18歳の晋城大君(ジンソンテグン)を擁立、
王位につけたクーデターです。
(1)・・・ナンダか不可解
、生まれる前に亡くなったはずですが、
父鄭悰について調べる必要が有りそう。 次回
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
母としては、 夫を死に追いやった敵である「世祖」の世話になるのは
本当に辛い事でしたでしょう。 ![]()
きっと、ドラマと同様 「息子」のために ・・・・決心したのでしょうね。
調べてみると。。。 「眉壽」は生涯 文臣として、世祖にとっては孫に当たる
9代成宗(・・・王女の男で 早く亡くなってしまう セリョン弟=
ウィギョン世子の二番目の息子)の保護の下、 無念に死んだ父
鄭悰(チョンジョン)の願いのごとく ・・・ その名のとおり長寿を
全うしたのかなと思います。
「眉壽」には。。。眉毛が長く伸びるまで長生きすることという意味があり、
長寿を願って名付けたと思われます。
なんだか。。。。 少しだけ 「ホッ」とした気持ちになりました。
![]()
![]()




