『朝鮮人の男の人も、昔 耳飾りをつけていた ![]()
』
髪1本も傷つけるのも。。。という「儒教」の国であるはずなのに・・・・・・・・![]()
韓国の特集番組で見て、びっくり
したので・・お話しようと思います。
『 きっかけとなったのは・・・・・
2007年、「恩平ニュータウン開発地域」から出土した
6.03gの 純度99.9%の銀の 耳飾からでした。 』
そのなぞを調べるうちに、「長いその歴史」や「無くなった原因」まで
解明されることになったそうです。 ![]()
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一緒に出てきた 白磁の酒瓶(백자술병)と銀製の魚牌(은제어패)。
魚牌は男性の装身具であり、その持つ意味とは・・・・・
公州大学博物館にある 「高霊金氏」 の15世紀の遺物から、
「地方の長に赴任したものに対して王が与えたもの」と判明。![]()
この「魚」には ・・ 魚は寝るときも目を開いているので、魚のように
いつも目を離すことなく、「民」を守りなさいという意味があったようです。
ここでまた 「高霊金氏」が出てくるなんて・・・・・ うれしい![]()
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・・・・・ これは、あの 「金首露の弟 伊珍阿伎」の一族子孫かな~!![]()
つまり ・・・ 魚牌の持ち主は、身分の高い男性 であったわけですね。![]()
でも、朝鮮の歴史上、いつから「男性の耳飾り」が存在していたのか・・というと
「釜山 東三洞」 からは、新石器時代の貝塚が発見され、その中にも
玉で出来た「耳飾り」発見されたそうです。・・・・・・ すごい、昔!! ![]()
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金の装飾が沢山出土し、有名な「新羅」の夫婦塚の出土品から見ても、
女性だけではなく、男性も「耳飾り」をしていたようです。
調査結果、女性は装飾的に豪華さを表し、太い留め具のもの。
男性は、威厳を表すため、きりっと細い留め具で。
また、
当時、唐に来た外国の使節団を表した「王会図」によると、新羅だけでなく
「高句麗」も「百済」も 細い留め具の「耳飾り」をしていたそうです。
そんな、大昔からあった「耳飾り文化」がどうして、消えてしまったのでしょう![]()
・・・・・・
それは、まだ 440年足らず前のことでした(豊臣秀吉の頃です。)
そうです。
日本が「朝鮮征伐」をした 韓国で言う 「壬辰倭乱」の頃、
時の 朝鮮14代王 「宣祖 선조ソンジョ」 が 「耳飾り禁止令」を出しました。
「朝鮮の男性が耳飾りをしていた証拠」が 悲しくも日本に残されています。
京都の「豊国神社」はご存知
秀吉を祀っている神社ですが、その横に
「耳塚」 がありますよね。 ・・・ それが、朝鮮人の「耳と鼻」を切り取って
戦果の証とし祀ったところです。 其の遺体が朝鮮人と見分けるのには、
まさに、「耳の穴」 だったそうです。 。。。。。。。 ![]()
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・・・・・・ それは、ちょっと余談でしたが 。。。。。。。。![]()
どうして、 「宣祖」は、 禁止令を出したのでしょうか・・・・・・
1572年5月 、 「明」 の使者が帰った直後だったそうです。
使者は、 耳飾をすることは 『蛮族の風習』 と非難したそうです。
北方遊牧民「清」が中原に進出し、漢族の「明」を圧迫していた頃でした。
漢民族は長い間、北方遊牧民から脅威を受けていたわけですし、
匈奴(キョウド)、鮮卑(センビ)の民族は耳に穴を開け、耳飾をしていました。
だから、明は 「耳飾り」に対して、相当な「憎しみ」があったわけですね。
これが、後に・・高句麗・・新羅・・・・・・と伝わってきたわけですから、
このように非難したのもうなずけます。
「宣祖」は とても、落ち込んで・・・・・ とうとう禁止令を出しました。
『 大小男児 必貫穿其耳 自今後 一切痛革胡習
其或憚不即従者 憲府巌加懲罪 』
(若い男たちが耳に穴を開け、耳飾りをする風潮を禁ずる事とする
これに従わないものは、憲府で厳しく罰する事とする。)
これが、「儒教の教えと相まって・・・・・ 消えていくこととなりました。
今の、韓国人の「若者」は、どう思うでしょうか~~? ![]()
オシャレの目的で、「ピアス」をしている男性も多くなりましたが、
まだまだ、日本のお父さんお母さんたちよりも、
厳しい
目で見ている「韓国」ですからね~~ 
興味深いお話でしたので
ご紹介しました ![]()
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それでは 。。。
これからも おもしろい話題
紹介しますね ![]()
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