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赤ちゃんと肝臓とわたし

劇症肝炎の発症から二人目の出産までの回顧録

3年前、わたしは劇症肝炎を発症し、生体肝移植を受けました。

お腹にいたわが子を亡くし、病気を繰り返し、第2子を無事出産するまでの回顧録を記します。


このブログは私の記録のためと、同じような経験をした方々との情報や気持ちの共有ができればという思いで開設しました。


時系列に沿って書いていくつもりですが、3年前のことなので多少前後することもあるかと思います。


2010年、平成22年6月。

第2子をお腹に宿し、妊娠17週を迎えていた。長男が1歳になる直前から教員として勤め始めて3年目。仕事と育児・家事をこなしきれず、いつもいっぱいいっぱいいな生活を送っていた。

それに加えて今年度は区の研究で授業をすることになり、6月15日の研究授業に向けて準備に忙しかった。

そんな生活の中で自分の体の変化には気づかなかった。後から思えば症状は出ていた。慢性的な疲れと倦怠感、色の濃い尿、食欲減退など。つわりのないわたしだが、妊娠中の症状だろうと思っていた。

入院の2日前には高熱も出たが、医師には風邪と診断され、薬ももらわず帰ってきた。一晩で解熱。


ところが研究授業の前日、6月15日、黄疸が発症。学校で翌日の準備をしているところ、事務と養護の先生が変化に気付き、受診を促した。よく見れば白目が真っ黄色。


産婦人科に行くと、先生が一目見るなり言った。

「肝炎だね。これはすぐには治らないよ。紹介状を書くから○大病院に行きなさい」

○大病院での採血データは大変なものだったらしい。ALT,ASTともに正常値40が限界のところ、4000近くの高値。エコーでは多少の肥大が認められた。

救急外来の部屋ににわかに大勢の医者が集合し、なにやら話しているのを見たが、まさか自分のことだとは思わなかった。


ただ事ではないことに気付き、母親に電話。保育園の息子を連れて来るようにお願いした。

あとは明日の研究授業のことが気になって仕方ない。まずは管理職に伝えるが、この先どうなるのか全く分からないので不安が高まる。


しばらく待たされた挙句、医師から転院を伝えられる。

○大病院にはこの症状に対応する設備が整っていないらしい。


転院先は渋谷にあるN病院。救急車で行くという。

え?別に歩けるし、元気なんですけど?と思いながらも担架に寝かせられ、乗車。

板橋から渋谷までの長距離をピーポー言いながら移動した。


わたし、どーなるのー?

研究授業は?

おなかの赤ちゃんは?

不安を抱えたままのまいーこ。