『哀れなるものたち』に続き、エマ・ストーンの俳優魂炸裂。

 

ヨルゴス・ランティモス監督とのコンビは、外さない。

 

エマ・ストーン演じる敏腕女性経営者ミシェルが、彼女が宇宙人だと信じる陰謀論者のテディと従兄弟のドンに拉致される。

 

ここから高IQのミシェルと陰謀論にはまったテディ、そして境界知能が疑われるドンとの会話・交渉劇。

 

合間に見えるのは、おそらくテディは保安官に性的な虐待をされた経験があるのだろうということや、今の仕事に不満を持っているということなど。

 

その結果、陰謀論にはまっていくというアメリカの病巣を描いている。

 

そのテーマ感と、終盤の無茶苦茶な展開は『エディントンへようこそ』に近い。

 

荒唐無稽で狂ったエンディングこそ、まさにアメリカを描いた映画なのかもしれない。
 

 

政治ジャーナリストとして活躍する鈴木哲夫氏が、記者として取材してきた第二次大戦下で行われてきた「狂気」をまとめたもの。

 

ベニヤ板で作られた特攻艇「震洋」、長崎に原爆を落とすB29は北九州に落とされるはずだったといったエピソードがつづられている。

 

生き残った人々の証言を鈴木氏は集めているが、そこには共通することがある。

 

<八月十六日のある時点で僕は命令に背いて逃げた。だけどあいつは行った。そのギャップというのか、それが罪悪感のように自分の心をずっと締め付けるんです。><自分たちがやられないで長崎がやられたことは、煙幕が原因かどうかはわからないかもしれないけど…でも、暗澹たる気持ちというか…>

 

生き残ってしまったことへの罪悪感。

 

今でいうとPTSDのようなトラウマを抱えて、”平和”な戦後を生きてきたのだろう。

 

しかし、もうそんな生の証言を聞くことは難しい時代になってきた。

 

これからは本やVTRなどで残ったそんな言葉を「解釈」するしかない。

 

その際、都合よく解釈する政治指導者も増えるだろう。

 

戦争を語ること自体が難しくなる。

 

 

 

 

1日に1軒のペースで減っている書店。

 

気が付けば駅前にあった本屋がなくなっていた、みたいなことは誰もが経験しているのではないか。

 

ただ、本書でも書かれているが、そもそも書店の数が多すぎたのではないかという問題も。

 

<日本では減ったと言ってもまだ7,000軒近い書店数が維持されているということです。日本の書店の適正数は誰にもわかりません>

 

それに比べ、人口は日本より少ないものの、広い国土でフランスは約2300店、ドイツは約4000店ということも書かれている。

 

その上で、再販制度や委託販売、雑誌発売日協定の制度疲労を指摘しているのだが、”適正数”をどう捉えるかが解決法を探るカギではないか。

 

読んでいて感じたのは、日本の農業、というより農家の減少の問題との共通点。

 

本屋保護策として再販制度や委託販売が時代遅れというのは、農家保護策が日本の農業を弱くしたのと同じだなということ。

 

ただ、違いもあって農業政策においては、多すぎる農家=小規模農家だから大規模化という解決策に向かいつつあるが、書店の場合は大規模化が解決策にはならない。

 

本書で<「本を売るだけの時代は終わった」>という書店経営者の言葉が紹介されているが、小規模農家でも無農薬栽培を行ったり、6次産業化するなどして付加価値で勝負するように、個性で勝負する書店が求められるということ。

 

本書では、様々な取り組みをする書店が紹介されている。

 

そもそも書店は免許がいるわけでもなく、参入障壁が低い商売。

 

大儲けせずとも、生き残っていくためには経営者感覚が必要なのは当然なのだ。