『レガシー』

 2005年7月6日、2012年のロンドン五輪が決まった日。当時のトニー・ブレア首相が、さかんに「レガシー」を強調した。「レガシー」を紐解くと、「遺産、財産、後世に残すもの」などとある。

 英国の文化・メディア・スポーツ省の前事務次官、ジョナサン・スティーブンス氏が来日し、4月に駐日英国大使館(東京・一番町)で、東京オリンピックに向けたセミナーを開いた。

 「レガシーは五輪閉幕から始まり、何世代もインスパイア(刺激)するものだ」。スティーブンス氏は英国で、週1回運動をする人が150万人も増え、ボランティアの組織率は上昇し、障害者を見る目も変わったことを挙げ、その長期継続の必要性を訴えた。

 また、レガシーは選手から発信されることもある。

 サッカーのワールドカップ(W杯)ブラジル大会の予選で話題になった米国領サモアのイレブンがもたらした財産はより感動的だ。その一部始終が17日から公開されている映画「ネクスト・ゴール!」に描かれている。

 国際サッカー連盟(FIFA)のランキングで最下位。オーストラリアに0-31とサッカーでは天文学的数字で大敗を喫し、そこから奮起していくチーム。男性に生まれながら女性として育ち、性同一性障害に取り組む選手の姿は「第三の性」が認知されている地域に限らず励ましを与える。「サッカーの真の価値を守り、皆のために試合を開催する。その精神を形にした」とFIFAもたたえた。

 東京オリンピックの開催が決まり、老朽化が進んだ国立競技場の建て替えが進むことになった。新国立競技場のコンペを勝ち抜いたのは、イギリスで活動するイラク人の建築家でした。日本人の手によって新たな時代が築けないことも悲しかったが、どうしてあの場所に鎮守の森が造成されたかを知らない外国人を取り立てた日本人の誇りの欠如が、それ以上に嘆かわしかった。

 明治天皇が亡くなった後、陵墓を京都に置くことになったので、東京都民はがっかりした。明治天皇を記念する場所を作りたいという、その選考と建設の過程は、国民的な関心がかなり高いものだった。内苑は鬱蒼たる森にする。代々木というのは荒れた土地だったが、「周辺がすさんだ土地を、森に変える。100年経って、はじめて明治神宮の森ができるようにする」という計画を、当時の科学者や技術者が真剣に考えた。外苑の中心は聖徳記念絵画館。絵画館は明治天皇の事跡を表す場所。

 当時の日本人は真面目だったし、東京の都市空間にこういう場所を作ることに賭けていた。地権者も積極的に土地を差し出し、それに応えるように技術者も最善を尽くした。

 しかし、上海ガニのような形の新しい国立競技場は、先人たちが100年かけて作り上げようとした神聖な場所を、いとも簡単に塗り替えてしまおうとしている。東京の数少ない野鳥の生息地である葛西臨海公園も、カヌー競技場建設のために壊されるというし、1964年の東京オリンピックで建設された都営霞ヶ丘団地も新しい国立競技場の建設予定地にかかり、取り壊されるらしい。そこに住む高齢者たちは、終の棲家を奪われてしまうことになる。

 果たして、これを日本の「レガシー」と呼べるだろうか。国立競技場の取り壊しは7月には始まる。世界に向けて、日本人の良心が問われる時が迫っているといっても過言ではないだろう。

  「レガシーに予算はいらない」

 前出のスティーブンス氏は、当初の省庁の思いを超えてこう結論付けた。社会にスポーツの成果を広める柔軟な発想はそこから生まれるということなのだろう。また、元サッカー日本代表だった中田英寿は今までプレイした競技場の中で、国立競技場が一番素晴らしいといった。

「なぜかというと、空が広いから。こんな会場はほかにはないんです」

 これを「レガシー」と呼ばずして、なんと呼ぼう。