56歳の呟き 第11話 「潜在能力」 | マライカのブログ

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こんばんは~!  今日は遅くなってしまいました~。

 

実は 心理学の講座に 参加してきました。

 

そのあと、先日の 奇跡の人に会ってきました~ なんばで。

 

今日の お勉強の いい話を ひとつ お話しましょうね。

 

世間一般で 潜在意識というものが 普通3パーセントくらいしか 使われていないことは

 

知ってますよね。

 

その前に わたしたちの理解 というのか 思い込み というのか

 

それが ほとんどの場合 「間違っている」  と 言えば どう思いますか?

 

「自分の目で 見えてるものが正しい」 という のは 完全なる思い込み だそうです・・・

 

これを 証明することもできますが 満月の夜まで お待ちくださいね。

 

私自身が 確認したうえで もう一度、 お知らせしますからね~。

 

かの アインシュタインでも 10パーセントしか、使っていない のだそうですから

 

わたしたち 凡人は3パーセントも使っていない・・・ とは、「う~ん なるほど・・・」 ですね

 

まず・・・・

 

あなたは 「自分の可能性を 信じることができますか?・・・・・・」

 

この答えが 「いいえ、無理」 という 返事の人は この先の 呟きは 読んでも、無意味かも・・・・

 

では 潜在能力とは、 人間のどこに あるでしょうか・・・・・

 

 

 

・・・・・・・・考えてみて・・・・・・・

 

「脳」 「頭」  ですか?  「意識」 でしょうか? 

 

答え 「こころ」 です。

 

「こころ」 に 触らないと 手を付けないと 「潜在能力」 は 育たない・・・・んですって。

 

「脳」 「あたま」 は 理解する、 認識する、わかる  だけで

 

「行動」 にまでは 移れないそうです。

 

「行動」 に 移すためには やはり 「こころ」 で 感じないと だめなんです。

 

「頭、脳」 と 「こころ」 はどちらの影響力が 強いと思いますか?

 

そう、 こころなんですって・・・・

 

人間は 「わかっても 動く生きもの」 ではなく

 

「こころが感じて 初めて 動ける生きもの」 なんだそうです・・・・

 

ここ 同感です。

 

だから こころから こころから 

 

「自分の潜在能力 を もっと もっと つかいた~~~~い !!!」 と、 強く 強く

 

望まないと 育たない そうです。

 

潜在能力を 進化 開花させるためには

 

それができる環境に 自分を 持っていく必要があるようです・・・

 

まず 「自分の可能性を信じる」 ことだそうです。

 

 

 

つぎに 環境を変えること

 

それから・・・・・・

 

この続きは また 別の日に・・・・・

 

こないだの 「清濁 併せ呑む」 を少し 呟きます・・・・

 

広辞苑によると 

 

「善悪を 分け隔てなく 受け入れること・・・」 とあります。

 

でも、これでは 軽いんです。

 

大海を見てください・・・・

 

あの大海は清流も 濁流も 区別なく 流れ 大海は受け入れます・・・・

 

小さな川も 大きな川も 汚れた川も きれいな川も 

 

分け隔てなく 受け入れますよね・・・・

 

すなわち 綺麗なものも 汚れたものも つまり、 善も 悪も

 

区別せず 受け入れる 度量の大きさを 持つ・・・・ という意味です。

 

まだ、 続きがあります・・・・

 

「善」 とか 「悪」 と 決めているのは だれですか?

 

自分ですよね・・・

 

その自分の判別は いつも 「正しい」 と言い切れますか?

 

自分の判断が間違いないと 言い切れるでしょうか・・・?

 

 

 

「誤認」 が あるかもしれません・・・

 

人の「思い込み」 は ほとんどの場合 間違っている・・・ ならば

 

人に 「これは善だ これは悪だ」 ということができるでしょうか・・・・

 

人は 常に 間違いをおかすものでは ありませんか・・・

 

大海でさえ 「お前は 汚れている、入っては来るな・・・」 とは言いません。

 

濁流も 大海ののまれて はじめて 「清流」 となるチャンスも あるのです。

 

濁流にも 清流になるチャンスがでる・・・ ともいえますよね。

 

わたしにこの言葉を 教えてくれた 社長は もう一つ 付け加えました。

 

「 わしはなぁ、 この言葉には もう一つの意味があると 思ってるんや」

 

「人だけじゃなくてな 物事にも 言えると思うんやな・・・

 

いいこと、悪いこと いつも、 人生には いろんなことが 起こるもんや

 

災いや災難が来ても それも、 すべて 受け入れるんや と

 

思ってるんや・・・・」 と。

 

「人生には いいことばかりが 起こるとは かぎらへんやろ・・・

 

災難が来てもな 嘆いたり、悲しんだり せずに

 

静かに 受け取るんや・・・・ な、わかるやろ?」  って。

 

「すばらしいなぁ・・・・・」 と思った。

 

この社長 大変な苦労を されて 一代で 商売を 完成されました。

 

 

 

困ったとき 苦しかったとき とにかく

 

「考えた・・・・」 「どうしたら ええんや・・・・」と 考えた そうです。いま もう70歳くらいですね

 

「お金は いくら使っても ぜんぜん 減らないなぁ」  と。

 

今は そのお金を自分のためにではなく 家族や 慈善事業の寄付に

 

あてておられます。

 

大きな人やなぁ・・・・・と 感じました。

 

あれ以来 「清濁 併せ呑む」 を 自分の中に 落としました・・・・

 

「人の振り みて 我が振り を、 振り返り

 

わたし、恥ずかしくなりました・・・・

 

「なにを、 グズグズ・・・してるんや・・・・」  とね。

 

もう少し ちゃんと 生きませんか・・・・

 

もう少し ちゃんと、人生を 考えませんか・・・

 

「この命・・・何をしたらいいのか・・・・」を。

 

一回限りの 命だもの・・・・この世では・・・

 

 このお話は2014年6月頃に書いたものです。


私の本棚もよろしくおねがいしま~す😊


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