百人一首(1)
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■書 名:「ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人!」
■ISBN-13: 978-4434184727
■著 者:小名木善行、出版社:彩雲出版
■ねず本、ネットで立ち読みができるようになりました。スマホでも読めます。
http://homepage2.nifty.com/sai/e_book/t_n56_nezu_01/
■ラジオでのねず本のお話です。下のURLで聞くことができます。私も出演しています。
http://www.sinkan.jp/radio/radio_1674.html
先日、孫に本など買ってあげようと思って書店さんに行きました。
時節柄でしょうか、児童書コーナーに、たくさんの百人一首本が並んでいました。
なかには、ひとつひとつの和歌を、マンガでやさしく解説した本もあり、<なるほどこれなら子供たちに興味をもってもらえるなあ>と、好感をもって感心して、それらの本を手に取りました。
ところが、中味を読んで、愕然としました。
格調高いはずの百人一首のそれぞれの歌が、まるで幼稚園児の作文の駄文としか思えなくなるような解説がされているのです。
子供は、素直な心で本物を見分ける力を持っています。
百人一首に興味を持った子供たちが、これでは逆に興味そのものを失ってしまう。
それどころか、子供たちが、百人一首を通じて、逆に「なんて日本文化ってダサイんだろう」としか感じなくなってしまう。
はじめの一冊で驚いて、次々と置いてある本を見てみました。
どれも同じでした。
そして不思議なことに、どの本にも、もっともらしく「〇〇大学◯◯博士監修」と書いてある。
有名大学教授の肩書きでハッタリをかましながら、逆に日本人を貶める。
それはまるで、どこかの国の人たちの手口と同じです。
もちろん和歌というのは、書き手と読み手のある種の知能ゲームのようなところがありますから、なぞなぞの問題だけを解説しても、あまりおもしろいものではなくて、その答えを知ったときに「ああ、なるほど」と納得し、意識にストンとおち、そこにいいしれぬ感動があるものです。
ですから和歌は、通解だけを読んでも、ひとつも面白くありません。
むしろ解釈の中に、本当の面白さがあるわけです。
ところが、そこにあった本は、どれも、和歌の通解だけでした。
そして、それを実にくだらない解説で、かえって和歌の深みや楽しさを削ぐような解説しかしないのは困ります。
そこで、歌のもつ本来の意味を解説した、ねずさんの小倉百人一首解説をやってみたいと思います。
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http://www.amazon.co.jp/ねずさんの-昔も今もすごいぞ日本人-小名木-善行/dp/4434184725%3FSubscriptionId%3D175BC0N2BCT0X4DAZG82%26tag%3Damebablog-a1294817-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4434184725
¥1,470
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百人一首には、実はいろいろな種類があって、なかには「英雄百人一首」とか「烈女百人一首」なんてのもあります。
そこで、もともとの元祖・百人一首を、他の百人一首と区別する意味で名付けられたのが「小倉百人一首」です。
「小倉」というのは、残念ながら九州の小倉(こくら)ではなくて、京都の小倉山(おぐらやま)で、この歌集が編纂されたから、その名がついています。
編纂したのは、平安末期から鎌倉時代初期にかけて活躍したお公家さんの藤原定家(ふじわらのさだいえ)です。
この藤原定家は、実におもしろい人物で、お公家さんでありあがら、若い頃に宮中で源雅行と大乱闘して、お公家の身分を剥奪されたり、土御門家と政治的に対立して放逐されたりと、たいへんに一本気な方であったようです。
けれど、その苦労の分、味のわかる人物となり、偉大な歌人ともなり、また素晴らしい歌集の編纂などもされています。
藤原定家が編纂した歌集は他にも新古今和歌集、百人秀歌、物語二百番歌合などがあり、歌学書や和歌の注釈本なども数多く残しています。
なかでも13世紀のはじめ頃に編纂された「小倉百人一首」は、出来が良いとされ、後には「かるた」として全国的に広く普及し、またこの歌集を覚えることが、子供たちの教育の養成にも役立つとされました。
その「百人一首かるた」は、上の句を書いた「読み札」と、下の句を書いた「取り札」があって、これは古今の名歌100首を覚えなければ、ゲームになりません。
しかもそのかるたとりは、ゲームとしての競技性があって楽しく、参加人数も問わないし、たいへんに「勉強になる」ということから、鎌倉、室町、戦国、織豊、徳川、明治、大正、昭和を経由して、公家や武家、庶民の別なく、時代をこえて人々に愛され続けたものです。
実際、私などが子供の頃は、お正月ともなれば、たいていのご家庭で、大人も子供も一緒になって百人一首の「かるた取り」が行われていたし、いまでも、百人一首かるた大会などが催されています。
この「小倉百人一首」は、それぞれの歌に1番から100番までの順番が付してあるのも特徴のひとつです。
この歌番号の並び順は、古い歌人から新しい歌人への順番ともいわれていますが、そんなことはありません。
なるほど、全体としては、そういう並びに近いですが、順番が逆転してる歌もありますので、必ずしも古い順番ということではありません。
それで、最近の解説本などでは、「この順番には意味がない」などと切って捨てているものをよく見かけるのですが、天才歌人の藤原定家が、順番にまったく意味を持たせなかったかというのは、むしろ疑問です。
実は順番にも大きな意味があります。
詳しいことは順次明らかにしていきますが、ひとつはっきりと申し上げれるのは、百人一首の歌の理解は、わが国古来の伝統に照らした天皇のご存在を否定したら、歌の意味がまったくとれない、ということです。
わが国は、天皇のご存在あっての日本なのです。
そこを否定したら、見るべきものがまったく見えなくなる。
逆に、天皇の存在のありがたさを、しっかりと確認すれば、歌はものすごく素敵な本来の日本の姿を、活き活きと私たちの前に繰り広げてくれるのです。
そこで私が教わった百人一首の解説を、やってみようと思います。
この解説は、戦前の教育を受けられた方なら、「何をいまさら」というくらいのあたりまえの常識でしかなかったことです。
けれど、戦後の教育のねじれは、その常識を故意に消去し、いまではそれが忘れ去られようとしているかのようにさえ思います。
これではいけない。
そこで私の知る「小倉百人一首」を、このブログで、すこしずつやって行こうかと思います。
といっても、100首もあり、ひとつひとつに意味が深いので、いっぺんに全部はできません。
少しずつ、できる範囲で、日をあらためながら、ちょっとずつ書き、いずれは本にできたらいいなと思います。
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1番歌 天智天皇
秋の田の
かりほの庵(いお)の
苫(とま)をあらみ
わが衣手(ころもで)は
露(つゆ)にぬれつつ
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百人一首の第一番を飾る歌は天皇の御製です。
しかもその御製が、天智天皇の作品です。
天智天皇は、天皇に即位する前はご皇族で中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)という名でした。
皇子は中臣鎌足(なかとみのかまたり)らと謀り、皇極天皇の御前で蘇我入鹿(大金持ちの渡来人だったとも言われています)を斬り(乙巳の変)、翌日には孝徳天皇にご即位いただき、自分はその皇太子殿下として、様々な改革を行う中心人物となられました。
このときにはじまった大改革が「大化の改新」です。
つまり天智天皇は、皇子、皇太子時代に、現代に伝わる律令制の、その基礎を築かれ、その上で、天皇に即位されたわけです。
ちなみにここがすごく大事なところですが、天皇は政治を行う者に認証を与える権威というお立場ですから、天皇ご自身は、政治権力の行使ができません。
ですから、やるべきことをやり、打つべき手を打って、その上で、天皇に即位あそばされているわけです。
その天智天皇が、百人一首の1番なのです。
つまり、わたしたちの国のカタチの基礎を築かれた偉大な天皇が、百人一首の第1番歌となっています。
そういう位置づけを、藤原定家は、した、わけです。
その「わが国の基礎を築かれた最高の天皇」の御製として、藤原定家が選んだ御製が、
「秋の田のかりほの庵(いお)の苫(とま)をあらみ、わが衣手(ころもで)は露(つゆ)に濡れつつ」です。
この歌の通解を読むと、多くの本が「秋の田んぼの脇にある仮小屋の屋根を葺いた苫の目が粗いので、私の衣の袖は露に濡れてしまったよ」のように書いています。
秋の田んぼのわきに、目の荒い、藁(わら)でできた茣蓙(ござ)を屋根にしたほったて小屋があって、”ござ”の目が粗いから雨漏りして、ワシの着ている服が濡れちまったよ、というわけです。
これではまるで、そんなところに案内をした部下の不手際を、天智天皇がとがめて文句を言っているみたいです。
「まさか」とびっくりしてしまうけれど、最近の解説書は、たいていどの本を読にも、そういう意味の歌だと書いてあります。
おそらく、天皇を支那の皇帝のような威張り散らした絶対権力者のような存在に仕立てたいのでしょう。
上の通解では、そういう意味にしかとれません。
果たして、天智天皇を、そのようなムシロの屋根の下にお連れした係の者は、天皇の着衣を濡らしてしまったことで、首でも刎ねられたのではないかと、心配にさえなってしまいます。
もしこの歌がそんな歌なら、この歌のどこがどう「名歌」なのでしょうか。
いくらなんでも、歌の詠み方が、これでは貧弱すぎるのではないでしょうか。
ちょっと待ってと言いたいのです。
仮にも百人一首は、古今の名歌を集めた歌集です。
しかもその「イの一番」に出てくる陛下の御製です。
それが、まるで暴君がプンプンと怒って横暴な言動をしているかのような歌が、わが国の古今の名歌の筆頭歌になるのでしょうか。
そもそも歌の出だしは「秋の田」です。
秋は稲の収穫のときです。
そして「かり穂(=刈り穂)」と続くのですから、田んぼの稲が刈られたあとの時期です。
その刈り取られた田んぼの脇に、庵(いおり)があるわけです。
「庵」というくらいですから、小さな「草庵」のようなものが連想されます。
問題は「苫(とま)をあらみ」です。
「苫(とま)」というのは、ワラなどでできたゴザのことをいいます。
「あらみ」と書いていますから、そのゴザは、目の粗いものなのでしょう。
そして「あらみ」は「編み」にも掛かっています。
つまり、ゴザを編んでいるという意味にも掛かっています。
稲は、実はお米になりますが、茎や葉も、稲刈りの後に田んぼで天日干して乾燥させ、乾燥した茎や葉でゴザや縄、ワラジや、冬のためのカンジキ、雑囊袋などに編んで用いて生活に役立てます。
稲は、実だけでなく、茎も葉も、私たちの生活に役立つ植物です。
その茎や葉は、天日干しして乾燥させたあと、雨に濡れたら乾かした意味がありませんから、屋根のついた作業場(庵)に持ち込まれます。
そしてその庵の中で、人々が、ゴザや縄など、生活に必要な物資を手作業で作るのです。
ここまでが上の句です。
そして天智天皇は、下の句で「わが衣手は露に濡れつつ」と詠まれています。
「我が」衣手が「露に濡れた」とおっしゃられているわけです。
なぜ、濡れたのでしょう。
作業場に立たれただけなら、袖も手も濡れません。
天智天皇ご自身が、作業をする人々と一緒になって苫(ゴザなど)を「あらみ」、つまりご自身でゴザを編まれ、一緒になって作業されたから、濡れたのです。
濡らしたのは「露」です。
露は、夜になってからの夜露と、早朝の、夜明け前の朝露があります。
歌には、夜露か朝露か書いてありません。
ただ「露」とあるだけです。
つまり、大改革を成し遂げた偉大な天皇が、ご自身で、お忙しいご公務の間をぬって、夜露に濡れる夜遅くまで、あるいは朝露に濡れる夜明け前の早朝から、民と一体にあって、ご自身の手でワラを編まれていると、この歌は、そう書いているのです。
つまり「秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」は、秋の田んぼの刈入れのあと、ワラを乾かし、そのワラでゴザを編むお仕事を、大化の改新を挙行され、わが国最高位となられた天智天皇ご自身が、一般庶民とまったく同様にむしろ率先して朝早くから夜遅くまで働いている、そういうお姿が描かれているのです。
ワラでゴザを編むくらいです。
ということは、おそらく天智天皇は、田植えから、稲の刈り取り、ワラの天日干し、庵への運搬、そして運び込んだワラでゴザや縄やワラジを編むお仕事まで、民とともに御作業をされていたのでしょう。
大化の改新によって起きたことをひとつだけ申しあげます。
それはこの大化の改新のときから、わが国が、わが国独自の元号を使い出した、ということです。
ですから西暦645年が、大化元年で、これがいま、明治、大正、昭和、平成と続く、わが国の元号のはじまりです。
そして、独自の元号を用いるということは、わが国が、完全に支那文明から決別して、完全に独立した国家として、独自の政治、文化、文明の道を歩み始めたということを意味します。
そして、このすこし後に、わが国は、公式に外交文書でも「日本」の国号を用いるようになっています。
つまり、ものすごく詰めていうなら、天智天皇は、皇子時代に大改革を断行し、皇太子としてわが国の独立自尊を成し遂げ、これを定着させて第38代天皇となられた偉大な天皇なのです。
その偉大な天皇が、民とともに、民といっしょになってお手ずから田植えをし、刈入れをし、ワラを干し、干したワラでゴザを編んでおいになるわけです。
それも、夜遅くまで。朝早く朝からです。
この時代、十二単が貴族の女性たちの着物であったことは、誰もがご存知のことです。
なぜ十二単なのかといえば、日本の平均気温というのは、だいたい600年ごとに暖かくなったり、寒くなったりしているからです。
天智天皇の時代は、とても寒い時代で、だから女性たちも重ね着をしたのです。
それが十二単です。
その寒い日本で、早朝から深夜まで、民とともに働く。
歌には「秋の田の」とあります。
それも「刈り穂の秋」ですから、刈入れが終わった頃、つまり、朝晩がめっぽう寒くなって来た時期です。
その寒い中を、早朝から深夜まで、陛下ご自身が作業されている。
これが「天壌無窮の神勅」をいただく、わが国の最高元首のお姿です。
そして私たち庶民は、大化の改新によって、その天皇直轄の民と規程されました。
ということは、私たち庶民は、豪族たちの私有民ではない、ということです。
その豪族たちのはるか上位におわす天皇直轄の民なのです。
ですから私たち日本人は、中華文明圏にあるような、豪族たちの私有民として収奪や奴隷の対象となっていません。
これはある意味、究極の民主主義が確立された、ということです。
そしてその中心におわす天皇が、御みずから、「わが衣手」を「露」に濡らしながら、率先して働いておられるのです。
それも露に濡れる祖末な庵で、です。
そしたら、私たち庶民は、やれ暑いだの寒いだの、雨に濡れるだの手が汚れるだの、我儘なんて言っていられません。
とにかくみんなと一緒に黙って働くしかない。
これが君民一体です。
そういうありがたい歌が、百人一首の1番歌だというわけです。
田んぼで大人たちが農作業しているそばで、子供たちが遊んでいる。
「おいっ!お前たち。この世はなあ、天子様だって朝早くから夜遅くまで働いておいでなんだ。百人一首にそう書いてあったろ。こら!お前たちも一緒に仕事を手伝わんかっ!」
お父さんやおじいちゃんの、そういう声がなにやら聞こえてきそうです。
この御製は、決して「秋の田んぼのわきにあるほったて小屋には、藁で編んだゴザを屋根の代わりにがかぶせてあるけれど、ゴザじゃあ、目が粗いので、私の来ている服の袖が濡れちまったじゃねーか」なんて、御歌ではありません。
それではまるでクレーマーです。
そんなクレーマー歌なら、子供の教育上も良くないし、そんな良からぬものなら、大人たちが何百年もの間、おめでたいお正月のかるたとりになんて、絶対に使いません。
けれども、天子様自ら働き、国民みんなが一緒になって働く。
それが「はたを楽にさせる=はたらく」を大切にする私たちの国のカタチであり、その歌が、百人一首の1番歌であるとわかれば、大人たちは、すすんで我が子に、その「かるた」を薦めます。
神社だって大勢の子供たちを集めてかるたとり大会をします。
そしてそれが習慣となって定着し、何百年も続きます。
小倉百人一首は、「大化」の改新の天智天皇に始まります。
後世のいまを生きる私たちは、決して「退化」したくないものだと思います。
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2番歌 持統天皇
春過ぎて
夏来にけらし 白妙(しろたえ)の
衣干(ころもほ)すてふ
天の香具山(あめのかぐやま)
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この歌も、最近の通解ですと「春が過ぎて夏が来た。純白の衣を干すという天の香具山なのだから」という意味なのだそうです。
みなさん、それで意味がわかりますでしょうか。
洗濯物をわざわざ香具山に持って行って干すのですか?
そんなことに何か意味があるのですか?
すくなくとも私には、これでは何のことかさっぱり意味がわかりません。
では、実際にはどうなのでしょうか。
春がすぎて、夏が来た、ここまではわかり易いです。
暖かな日差し、水仕事がとっても気持ちの良い季節がやってきたのです。
「白妙(しろたえ)の衣(ころも)」というのは、真っ白にきれいに洗った洗濯物です。
当時は、いまのような全自動洗濯機なんてありませんから、全部、手洗いです。
晴れあがった青空。
暖かな太陽。
透き通っていて、きれいな水。
そこで、せっせと洗濯をし、真っ白に洗い上がった着物を、青空のもとで「干し」ているわけです。
まぶしい太陽。
初夏の緑の香り。
額から流れる汗が気持ちいいことでしょう。
ふとみれば、向こうには天の香具山が、凛々しい山姿を見せています。
その山の姿は、若くして亡くなった夫、天武天皇の勇姿にも似ています。
「あなた。私はいまもこうして頑張ってるわよ!」
宮中にいる女官たちと一緒に洗濯をし、真っ白な洗い立ての洗濯物を大空のもとに干している持統天皇のお姿が、ここに描かれています。
持統天皇は、天智天皇の第2皇女です。
後に、天智天皇の弟の天武天皇の皇后陛下となられ、天武天皇の施政を継いで、わが国最初の体系的な法典「飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)」を制定、施行されました。
第41代の女性天皇です。
その持統天皇ご自身が、天皇となられたいまも、ご自身のお手で洗濯をし、凛々しい香具山に、亡き夫を感じられている。
愛する夫を失うことは、とても辛く悲しいことです。
けれど、どんなに悲しいことや辛いことがあっても、精一杯の笑顔で力を尽くして生きて行く。
そんな姿を、亡き夫もきっと見ていてくれるに違いない。
その御製が、
「春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣干すてふ天の香具山」です。
そこには、男は男として、女は女として、互いに助け合い、それぞれの役割(仕事)をきちんと果たすことの大切さ、そして亡くなった夫ということから、死者とともに一体となって生きる日本人の原点が明瞭に描かれています。
最近でこそ、各ご家庭の墓所に行くには、電車で何時間も揺られなければならないような状態になりましたが、昔は、どのご家庭でも、家から歩いて行けるところに、墓所がありました。
これが縄文時代の遺跡などを見ると、集落の真ん中にご先祖の墓所があったりするわけです。
つまり日本は、何千年も前から、死者と共存し、死者とともに生きて来た。
そして純白の衣を干すという洗濯は、そのまま命を洗濯して純白になっていくことをも想起させます。
この世は修行の場で、正しく生きることでえ魂を浄化し、そして死んで神となる。
洗濯は、汚れた命の洗濯でもあるわけです。
そうやって、いまも俗世間に生きている私(持統天皇)を、亡くなった夫(天武天皇)が、天の香具山となって、いまもずっと見守ってくれている。
そこにあるのは、究極の夫婦愛です。
これが百人一首の2番歌です。
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3番歌 柿本人麻呂
あしびきの
山鳥(やまどり)の尾の
しだり尾の
ながながし夜を
ひとりかも寝む
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百人一首の3番歌は、柿本人麻呂です。
この「3番に人麻呂が来ている」ということが、実は、世界的にみて画期的なことです。
なぜかといいますと、百人一首は、はじめの1番歌と2番歌が天皇の御製です。
普通に考えたら、世の中身分制ですから、3番目にくるのは、皇太子殿下か、すくなくとも政治における最高権力者である「太政大臣」クラスの人の歌であるはずです。
ところが小倉百人一首では、三番目が柿本人麻呂(かきものとひとまろ)なのです。
なるほど人麻呂は、天才歌人としてよく知られた人ではあります。
ですが、出自は、とても身分の低い人です。
その低い身分の人麻呂が、並みいる政界の大物や名だたる高僧たちを差し置いて、そればかりかなんと光孝天皇(15番)まで差し置いて、3番歌に名を連ねているのです。
さらにいうなら、律令制における政治の最高権力者(それはいまの内閣総理大臣よりも位の高い上位の役職)は、太政大臣です。
その太政大臣に至っては、76番歌、91番歌、96番歌と、むしろ後の方での登場です。
こういうことに「順番は何の意味もない」としか考えられないのだとしたら、よほど鈍感としか言いようがありません。
3番歌が人麻呂。
つまり、百人一首は身分や出自よりも「才能や能力を重んじる」という、これまたわが国の古代からの習慣そのものを、ここで明確に示しているのです。
もちろん、秩序のための身分制は大切にしています。
ですから、それぞれの歌には、歌詠みのお名前に、必要に応じてちゃんと位が付されています。
しかしそれは、あくまで秩序維持のための役割分担としての位であり、人としての大切さは、また別だ、というのが、ここい姿勢として、明確に現れているのです。
そこのことは同時に、勤勉に努力し、才能を開花し、人々に良い影響を与えるようになることは、身分や出自以上に大切だよ、という教えでもあります。
だからこそ、真面目に学問し、努力することが大切だといういう意味になるからです。
さて、その人麻呂の歌です。
「あしびきの山鳥(やまどり)の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む」です。
最近の通解では、「山鳥の尾の垂れ下がった尾が長々と伸びているように、秋の長々しい夜を一人で寝ることになるのだろうか」とされています。
要するに、独り寝のぼやきだというのです。
人麻呂がひとり寝の淋しさを愚痴って、それが名歌ですか?
あり得ない解釈です。
さらにいうなら、「あしびき」は枕詞(まくらことば)だから、何の意味もないのだそうです。
ちょっと待ってくれといいたいのです。
和歌は、五七五七七という短い言葉の枠の中に、万感の思いを込めて、世界を表現する知的技術です。
その、たった31文字しか使えないなかで、4文字も意味のないことのために犠牲になどするでしょうか。
一字一句に鋭く深い意味を持たせた、名人の碁にも似た知的産物である和歌なのです。
意味のない言葉なんてあり得ません。
では「あしびきの」は、何を意味するのでしょうか。
これは漢字で書いたら「足引き」です。
険しい山道を進むとき、坂道ですからしまいには、疲れて足を引きずるようになる。
だから深い山道は、あしびきの道です。
そしてその「足をききずらなければないほど深い山奥に「山鳥」がいます。
その山鳥は、雉(キジ)の仲間でしょうか。美しい羽根と長い「尾」があります。
その尾は「しだり」ですから、しだっているくらい長くて立派な尾です。
これが上の句で、下の句は、「ひとりかも寝む」と続きます。
ここで気になるのが「か」と「も」です。
「ひとり寝る」ではなくて、どうして「ひとりかも寝る」なのでしょうか。
一般には「か」は、疑問系ですから「ひとりかあ」といった意味、「も」は感嘆詞の「もぉ!」と同じで、強調語だと言われています。
ですから、今風に言ったら、「なんだ、ひとりかよっ!」みたいな感じで、しかも「寝る」わけですから、
「なんだ、ひとりで寝るんかい!」みたいな感じにも、もちろん受け取れます。
けれど、本当にそうなのでしょうか。
和歌でよく用いられるものに、掛け言葉というものがあります。
ひとつの文字を、二重の意味に使うのです。
そうなると、この場合、「か」は「書く」であり、「も」は「文字」とも読めます。
すると歌の意味がまるで違って来るのです。
山奥は薄暗いし、山奥まで行くには長い時間がかかりますから、これは夜中を暗示しています。
その夜中に「かも」=文字を書いているわけです。
書いているのは人麻呂です。
人麻呂は歌人ですから、一生懸命歌を考えているのでしょう。
そして「かも寝む」ですから、どこまでが起きて考えていて、どっからが寝てしまっていて、どっからが起きているのかもわからないほど、人麻呂は歌に没頭しているわけです。
要するに、起きていても、寝ていても、歌のことばかり考えているわけです。
ここまで読み解くと、上の句が意味するものも見えてきます。
「あしびきの山鳥の尾のしだり尾」は、現実の山奥の鳥やキジのことを言っているのではなくて、歌を詠み、歌を考え創造することは、まさに足を引きずりながら、険しく深い山に登り、そこで名鳥である尾の長い孔雀(くじゃく)に出会うようなものといっているわけです。
深い山奥にわけいれば、孔雀に出会えるというものではありません。
それは、まるで「火の鳥」に出会うようなたいへんな難事です。
その山鳥(孔雀)の尾がしだれているように、美しいその歌の姿は、長い夜にも似ていて、茫漠としていて、それでいて美しく、なんとかしてそれを捕まえようと、悶々としながら、ひとり夜更けに筆や硯(すずり)を前に、人麻呂が長い夜をすごしているわけです。
誰しもお仕事などで、何事かを真剣に思い悩んだご経験をお持ちの方なら、おわかりいただけようかと思います。
およそ無から有を生むという作業は、設計にしてもデザインにしても、文学、芸術にしても発明も、もだえくるしむように、とことん考えに考え抜き続けた先に、ある日、ポンとひらめきとなって、その姿をあらわしてくれます。
それは、まるで、深い山奥で突然、美しい孔雀に出会うようなものです。
そこまで考え、打ち込む。
できあがった歌が、孔雀です。
それを人麻呂は「あしびきの山鳥の尾のしだり尾」と表現しています。
考えに考え抜く様子を、険しい山道を行くことにたとえ、その先に見出されるべき知的成果を山鳥(孔雀)に、そしてそこにたどりつくまでの苦しみを「しだり尾」にたとえているわけです。
ですから山道も、山鳥も、リアルに山登りをして鳥を捕まえるという話ではなくて、考えに考え抜いて「ひらめきを得る」までの様子を描いているわけです。
そうなると、「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む」というのは、ひとつのことを真面目に真剣にひたすらに一生懸命に考え、孔雀にも似た美しい鳥(思考による成果)を得るために、ひとりで書き、文字にし、夜遅く、時の経つのも忘れて、そのひとつのことに没頭する、そういう意味の句であることが見えてきます。
人麻呂は、歌聖だ、天才歌人だといわれています。
その人麻呂さえも、ひとつの歌を詠みあげるためには、もだえ苦しみ、必死になって努力し、葛藤し、真剣に思い悩んでいるんだと、この歌は述べているのです。
人から見たら天才だと言われるような人でも、そこまでして真剣に考えに考え抜いてひとつの歌を詠み上げているのです。
まして凡人の私たちが何かを得よう、何かを成し遂げようとするには、人麻呂以上に努力し、脳みそが爆発するくらい真剣になって考え抜き、チャレンジしていかなくてはなりません。
そして、人として大切なことは、その結果もさりあがら、その過程における努力そのものが大事なのだと、人麻呂の歌は、それをとても美しい言葉でしっかりと聞き手に伝えているのです。
そして、そうとわかれば、
「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む」
の歌は、ただひとり寝が淋しいなどと、くだらないことを詠んでいるだけというような、つまらない歌ではない、ということがわかります。
険しい山奥の孔雀は、悩みぬき、考え抜いた先に得られる美しい歌です。
天才歌人と呼ばれる柿本人麻呂でさえ、そこまでして考える。
このことは、私たち凡人なら、もっと考え続けなければならないということを示唆しているとともに、和歌というものが、それだけ深いものであることを、私たちに教えてくれています。
百人一首の1番歌は、男性の天智天皇、御自らが働くお姿を示された御製でした。
2番歌は、女性の持統天皇が、御自ら洗濯をしているお姿の御製でした。
この2つの歌が、私たち庶民のおっさんや奥さんが詠んだ歌なら、また意味が違ってくるかもしれません。
けれど、働くことを、わが国最高権威でおわす天皇御自ら率先しておいでということを、この2つの御製は示されています。
そして3番歌に人麻呂のこの歌があるのは、そういう歌のもつ深みが、ひとつひとつの歌に込められている、どうかその意図を真剣に汲み取ってほしいという選者の心が、そこにあるからともみてとれます。
和歌は、詠み手は一番言いたいことを、あえて書かないとされます。
その一番言いたいことを、むしろ読む側に想像し、連想してもらうことで、意味にハタと気付いたとき、その読み手にその感動が伝わる。広がる。
それが、名歌と呼ばれる歌の特徴なのです。
・・・・・・
さて、百人一首の1番から3番までをご紹介しました。
今回は、この3首の歌でおしまいです。
また近いうちに、4番歌以降について順次、書いて行こうと思います。
なにせ百歌あるのです。
全部を書き終えるのには、2年くらいかかるかもしれません。
けれど、なんとしても、これは最後までやり遂げたいと思います。
ちなみに4番歌は、山部赤人の
田子の浦に
うち出でて見れば 白妙の
富士の高嶺に 雪は降りつつ
です。
さて、みなさんは、どのように読まれますか?
(ヒント)雪が降っていたら、富士山は見えません。
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